開演前に「撮影禁止」のアナウンスがあった。昨今の海外アーティストのライブでは珍しいことだ。がしかし、それがよかった。五感が研ぎ澄まされる感覚があり、ノラ・ジョーンズとバンドがそこで鳴らしている音に没入することができた。目を奪われるという言い方があるが、それになぞって言うなら自分は終始、耳を奪われていた。釘付けになり、ノラとバンドが奏でる音以外、耳に入らなくなっていた。このライブに関しては、携帯のシャッター音というノイズがなくて本当によかった。それだけ没入感のあるライブ、没入しないではいられないライブをノラがやっていたということでもある。歌声と楽器の音がそこにあれば、それだけで十分であり、ほかに何もいらない。それだけで豊かな気持ちになる。だから取り立てて演出もないし、ビジョンもない。照明でさえ前回のノラの公演と比べてもずっとシンプルだった。
音の近さもあるだろう。ノラはこれまで何度となく武道館でライブを行なってきたが、音がよくない、遠いと感じたことが1度もない。とりわけ約3年前の日本公演と今回は理想とも言える音響のよさで、ノラが今のメンバーたちとどういう音を鳴らしたいのかが明確に伝わってきた。優秀な音響スタッフがいてハコの形状に合った音の響かせ方ができる……特に武道館は何度もやっているので、その特性をノラとスタッフがよく理解しているのだろう。ノラは「音楽で」「サウンドで」オーディエンスと繋がりたいと考えている人。今回の来日直前に柳樂光隆さんがされたインタビューで、ノラはこう話している。「私のコンサートに来てくれる人たちの大半が、『音楽を聴きたい』と思って来てくれているんだと思う。私は踊ることを期待されていないし、それはありがたいこと(笑)」「当然だけど、大切なのは優れたサウンドだと思ってる」。そういうことだ。
さて、約3年ぶりとなった今回の公演は「Norah Jones Visions Tour 2025」と銘打たれたものの一環で、そのタイトル通り、2024年3月にリリースされたアルバム『Visions』を携えてのもの。今回のライブで第一に注目すべきは、過去のノラのサウンドよりも生々しさが印象的で、”密室的だけど開放的”(前者は主にサウンドから来る印象、後者は主にメロディから来る印象)だったそのアルバム『Visions』の音をライブではどう表現するのかというところだ。
ここから具体的に演奏曲目に触れながら文を進めていく。このあと、今晩(9月25日)の大阪公演、そして9月27日の「Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN」出演が控えているので、何が演奏されるか楽しみにしているので知りたくないという方は、終演後に読んでいただきたい。
3人の個性が溶け合う圧巻のハーモニー
2024年5月からの北米ツアーでスタートした「Visions Tour」のバンド・メンバーは、サーシャ・ダブソン(ギターとバックボーカル)、ジョシュ・ラタンズィ(エレキ/アコースティック/アップライト・ベース)、サミ・スティーヴンス(鍵盤とバックボーカル)、ブライアン・ブレイド(ドラムス)。サーシャはノラの親友で過去のツアーやアルバムにも何度か参加し、プス・ン・ブーツのメンバーでもあるシンガー・ソングライター。ジョシュとブライアンもノラの作品やツアーに度々参加してきた信頼高きミュージシャンだ(『Visions』の数曲にも参加)。が、ブルックリンを拠点に活動するシンガー・ソングライターで、今年3月にコットンクラブで来日公演も行なったサミ・スティーヴンスがノラのツアーに参加するのはこれが初めて。サーシャとサミ、そしてノラ。個性の異なる3人のボーカルがどのような融合を見せるのか、それも注目すべきポイントであったわけだが、結論を先に書くと、それこそが今回の公演の最大の面白さであり、最も引き付けられたところだった。そう、今回の公演の最大の魅力は3人の女性のハーモニーにある。

Photo by Masanori Doi
2曲目に演奏された「Paradise」で、これは面白い!と早くもそう思った。♪ララララララ、ララララララとハミングするように始まるその歌い出しがもう、アルバム『Visions』の音源の聴こえ方と全然違う。ノラとサーシャとサミの声の重なりが効いている、というか層が厚いのだ。続く『Visions』のリード曲「Running」(3曲目で早くもこの曲が演奏されたことにもちょっと驚いたが)の始まりの♪ウ~ウ~ウ~という箇所や途中のコーラス部分もやはりサーシャとサミのハモりが効いていたし、そのあともそういう曲がいくつもあった。それは『Visions』収録曲に限った話じゃない。今回のライブの、なんならひとつのハイライトと言ってもいいかもしれないのが武道館では8曲目に演奏された「Les Fleurs」で、これはミニー・リパートンのカバーなのだが、ここでのノラ、サーシャ、サミの複雑ながらも完璧なハーモニーは圧倒的にして絶品だった。
「Les Fleurs」に続く「Visions」のハーモニーがまた圧巻で、音源とはかなり異なる響きと聴き心地があった。サーシャとサミのコーラスがさながら聖歌隊のようで、3声の重なるところではゴスペル的とも言える静かなる祈りを感じた。これには息を呑んだ。
後半にもハーモニーの妙を味わえる曲は度々あり、曲によってはハーモニーではなくサーシャとサミがリードをとる箇所の入った曲もあった。そういった場面でのサミの少し枯れた味わいのあるボーカルは非常に魅力的に感じられたし、サーシャはといえば普段はそこまでハイトーンで歌う歌手ではないものの、サミとの色分けとしてけっこうハイトーンでいくところもあり、シンガーとしての幅を感じることもできた。
5人編成による「Running」パフォーマンス映像
ギター曲で見出した「ひとつの正解」
今回のライブの見どころのもうひとつは、ノラがピアノから離れてエレクトリックギターを弾く中盤の数曲だ。ライブ中盤にノラがエレクトリックギターを弾いて数曲歌うのは、今回、前回の公演に限らずこの10数年の恒例ではあるが、今回のそれにはこれまでにも増して引きつけられたし、ノラもそれを楽しんでいるようだった。ギターを弾いて歌う曲数自体、これまでのツアーより多かった。それは親友であるサーシャの存在が大きかったと思う。そのサーシャは、ノッてくると時々T字路sの伊藤妙子のように片足が上がったりしていた。彼女のギターの弾き方はロック・ギタリストっぽさもあってかっこよかった。5thアルバム『...Little Broken Hearts』とその表題曲はノラの作品のなかでもとりわけダークな色合いが濃いものだが、そんなサーシャとノラが並んでエレクトリックギターを弾き、ジョシュもエレクトリックベースを弾くその表題曲で立ち現れた荒涼とした景色は凄まじいものがあった。武道館の大きめのステージの中央あたりにメンバーがかたまって立ってプレイする。その様と鳴っている音はさながらインディー・ロック・バンドのそれのようだった。ノラは『...Little Broken Hearts』で表現したかった世界観をこのメンバーたちと表わすことができるのが嬉しくてたまらないのだろう。
その「...Little Broken Hearts」から『Visions』の「Staring at the Wall」へ。そして3rdアルバム『Not Too Late』収録の「Rosie's Lullaby」がきて、また『Visions』の「Queen of the Sea」へ。ここまでをギター演奏で聴かせたノラだったが、その曲の並びも興味深いものだった。多種の楽器を操れるひとりのプロデューサーとがっぷり組み、一緒に音を鳴らしてアイデアを出し合いながらゼロから作曲するという制作方法が通じていた5作目『...Little Broken Hearts』と最新作『Visions』の類似性に改めて気づけたし、”ピアノ曲のノラ”と並行して”ギター曲のノラ”の歴史も脈々と続き、発展していっているのだということもよくわかった。
新バンドの演奏で生まれ変わった名曲たち
過去の楽曲は何が選ばれ、新バンドでそれらがどのように演奏され、『Visions』の曲群とどのように混ざり合うのか。それが第2の注目ポイントだと先に書いたが、「...Little Broken Hearts」「Rosie's Lullaby」以外の初期や中期の曲の混ざり方も絶妙だった。『Visions』の曲で始まるかと思いきや2ndアルバム『Feels like Home』収録の「What Am I To You?」がオープナーだったことにも驚いたし、『Visions』の2曲に続いて2ndアルバムからのヒット曲「Sunrise」、そして5thアルバムの「After the Fall」が続いたことにも驚いた。本編終盤でデビューアルバムの表題曲「Come Away with Me」がきて、これはまあ必ず歌われるだろうと予想はしていたが、そのあとに5thアルバムからのシングル曲「Happy Pills」がきたことにまた驚いた。そしてそれ以上に自分が「おおっ!」と思ったのが、アンコールの1曲目に演奏された「Turn Me On」だ。歴史的なヒットとなったデビューアルバム収録の1曲だが、ずいぶん長らくライブで聴いていなかった曲。
もちろんのこと、それらのアレンジはこのバンドならではの新しいものだった。ノラのピアノソロが1分以上続いてから始まった4曲目があの「Sunrise」だとは、ノラが歌い出すまでわからなかった。終盤にもノラの印象的なピアノソロから始まる曲があって、それが「Come Away with Me」であることはやはりノラが歌い出すまで気づけなかった。続く「Happy Pills」はサミのソウルフルな鍵盤音を中心に、このバンドならではのグルーヴ感が濃く表れていた。
アンコールでは先述の「Turn Me On」、2ndアルバムに収録されたトム・ウェイツのカバー曲「Long Way Home」に続き、最後の最後に多くの観客が待ち望んでいたあの曲が演奏された。「Don't Know Why」だ。が、これもまたノラのアドリブのようなピアノソロがしばらく続いてから始まったので、なんの曲だかみんなしばらくわからずにいた。ノラのピアノに続いて、この曲の〈My heart is drenched in wine~〉というサビ部分がノラとサーシャとサミの美しいハーモニーのもとに歌われ、それで「Don't Know Why」だ!と気づいた人が多かったようだった。そうしたアレンジの妙を除いても、やはりこの曲の歌唱と演奏は絶品だった。新旧のファン全員を幸福な気持ちにさせるボーカルであり、演奏であり、音の響きだった。この上なく豊かだった。曲がよくて歌がよくて演奏がよくて響きがよかったら、ほかに何がいるだろうか。改めてそんなふうにも思ったライブだった。27日の「Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN」も楽しみでしょうがない。
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ノラ・ジョーンズ VISIONS TOUR 2025来日公演セトリプレイリスト
https://visionstour.lnk.to/Norah2025

Norah Jones Visions Tour 2025
2025年9月25日(木)大阪城ホール
特設ページ:https://udo.jp/concert/NorahJones25

Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN
2025年9月27日(土)・28日(日)東京・ 有明アリーナ
OPEN 12:00 / START 13:00(両日ともに)
※ノラ・ジョーンズは9月27日(土)出演
公式サイト:https://bluenotejazzfestival.jp/

ノラ・ジョーンズ
『Visions [JAPAN EDITION]』
発売中
SHM-CD:¥3,300(tax in)
詳細:https://norahjones.jp/disco/uccq-9788/
ノラ・ジョーンズ日本公式サイト
https://norahjones.jp/