ニーコ・ケイス(Neko Case)は00年代初頭にその並外れた歌唱力で「オルタナ・カントリーの女王」と称され、インディー・ロック界の人気者となった女性歌手だ。その後、オルタナ・カントリーの枠を超えた音楽的な冒険心に満ちた作品でファン層を広げ、2006年の『Fox Confessor Brings the Flood』や2009年の『Middle Cyclone』などのアルバムで、シンガー・ソングライターとして高い評価を得る一方、バンクーバーのインディーズ・シーンの顔役たちが集まったパワー・ポップ・グループ、ニュー・ポルノグラファーズの一員としても活躍してきた。


7年ぶりという久々のニュー・アルバム『Neon Grey Midnight Green』は、彼女がとてもユニークで優れたソングライターであると再認識させる素晴らしい作品だ。その背景には近年たくさんの親しい友人を亡くしたことがあるのだが、悲しみや嘆きだけではなく、もっと幅広い感情を引き出し、収録曲に昇華している。

9月下旬のアルバム発売直前、ツアーのリハーサルでとても忙しいなかのリモート取材となったが、「もののけ姫」のフーディーを着たニーコは開口一番「日本のためなら、忙しすぎるなんてことはないわ」という嬉しい一言で会話を始めた。

死はたくさんの贈り物を与えてくれる

―この『Neon Grey Midnight Green』は7年ぶりのアルバムとなります。もちろん、この間にはコロナ禍の2年もありましたし、今年前半に刊行された自伝の執筆でも忙しかったんですよね。収録曲は7年間に書き溜めた曲のストックから選んだのですか? それとも、どこかの時期に集中して、このアルバム用に曲を書いたのでしょうか?

ニーコ:断続的に取り組んでいた。いつものことなんだけど、前作の録音が終わると、すぐにまた曲を書き始める。このレコードでも同じだったけど、しばらく曲作りに取り組んだところで、コロナの世界的大流行が起こった。それと、ミュージカルの作曲の仕事にも取り組んでいて、それも忙しかった。

それで、2022年前半にこのレコードに取り掛かったら、知り合いの人たちが次々と死んでいったの。友だち、ミュージシャン、仕事仲間、前作のアルバムまで私のレコード全部をマスタリングしてくれた、友だちでもあるピーターも亡くなった。

それで、彼らに思いを伝える機会がなかったのはとても残念だと思ったの。
彼らは私がその真価を認め、感謝していると知っていたわ。それはわかっている。でも、私は残りのすべてのミュージシャンとリスナーの皆さんにも、彼らに感謝していると言いたかった。だから、このレコードを音楽とミュージシャン、そしてその音楽で社会へ奉仕するという私たちの仕事を完成させてくれるリスナーへのトリビュートにしたかったの」

―確かに、誰かを失い、その不在を悲しんでいるとはっきりわかる曲があります。でも、アルバム全体は友人たちの死を嘆く悲しい作品ではなく、もっと様々な感情が発見できます。友人を失う体験から多くのことを受け取ったんですね。

ニーコ:そうね。死について重要なことは、もし死を恐れず、死を見つめて、友人の死とその不在のもたらす感情に向き合うと、死がとてもたくさんの贈り物を与えてくれる。そして私たちはそれを進展させていくのだと思う。深い感謝の気持ちや過去を熟考することとか、その感覚が鋭くなる。そして、それを他の人にも伝えたい。だって、コミュニティを求めて手を差し伸ばすことは、悲しみから逃げていないなら、とても自然な感覚だと思うから。


―友人を亡くしたあと、生前以上にその存在を強く感じることもありますよね。特に音楽を共に作っていた人なら、音楽を作っているときに特にそう感じるんじゃないですか?

ニーコ:そのとおりよ。絶対にね。生前は当たり前に思っていた、彼や彼女についての多くのことを思い出す。それとね、彼らの知り合いのなかから新たな友人が生まれ、皆が共有する絆を知るのも素晴らしいことだわ。それは死者への感謝を実践するようなものね。

―ソングライティングについてですが、自伝の執筆、つまり長い散文を書いたことは、韻文である歌詞を書くことに影響しましたか?

ニーコ:ええ。つまり、曲を書くときは、どちらかというと直線的に進行するように書く。ただし、何を書いていても、必ず物語に奉仕するように心がけているけど。そうすると、コーラスがふさわしくない、より直線的になることもある。そんなときにも言葉に次に何が起こるかをゆだねるの。言葉が作る形状の流れがうまくいっていればいい。
だから少し散文にも近いかしら。

―元々、あなたの曲の多くは、通常のポップ・ソングの形式にきっちり収まりませんね。物語の展開や詩的な表現の流れに音楽が従っていくというか。そうじゃないですか?

ニーコ:うん。たいていの場合はそうね。時々メロディーの方が要求することもある。でも、たいていは言葉に次に起こることを決めさせているわ。

―映画『テルマ&ルイーズ』のミュージカル版の音楽にずっと取り組んでいるそうですが、ミュージカルに関する素養はあったんですか?

ニーコ:いいえ、全然ないわ。でも、それこそが彼らが私に声をかけた理由のひとつだと思う。その形式を壊してほしいんでしょう。もう10年近く取り組んできたけど、いまだにブロードウェイについてはよく知らない。でも、作曲についてはものすごく多くを学んだ。
4人のチームで働き、互いに厳しく批評し合う共同作業なの。とても楽しいのは、登場人物のために書く仕事だから。自分を主人公に書いているわけじゃない。だから私は楽曲に奉仕し、情景を描く役割を担っている。おそらくこれが今までで一番楽しい実習だわ。まるで究極の難解なクロスワードパズルを解くような感じで、非常にやりがいがある。

Neko Case、オルタナ・カントリーの女王が語る「死」と向き合った50代の現在地

Photo by Ebru Yildiz

―今回はストリングスを多くの曲で使い、室内オーケストラと共演しています。これは曲を書いていた時点で既に頭のなかにあったアイデアなのでしょうか?

ニーコ:レコード・デビューした頃からずっとオーケストラを使いたいと思っていた。でも、とてもお金がかかるので、これまで実現できなかったの。このレコードでは、本当にミュージシャンたちが一緒に演奏するサウンドをみんなに聴いてほしかった。もちろんひとりのミュージシャンが何度も重ね録りしたり、シンセサイザーのストリングスを使うのもいい。そういうのもクールだと思う。
でも今回は、複数の人間がいてこそ生まれるサウンドをみんなに思い出してほしかった。私は古いレコードが大好きで、当時はCBSレコードの歌手はCBSオーケストラと録音した。英国のレーベルの歌手はBBCのオーケストラを頻繁に起用した。そのサウンドが素晴らしかった。大好きなナンシー(・シナトラ)とリー(・ヘイゼルウッド)の昔のレコードでは、CBSオーケストラの存在がとても大きく、すごくマジカルなサウンドだった。コンピューターやシンセでは作り出せない。やっぱり違いがある。ああいったサウンドを望んだの。

たくさんのミュージシャンを雇って、スタジオに集めるなんて、今後はもう無理かも。ミュージシャンにはとても厳しい状況だもの。経済は最悪だし、ストリーミングが収益を奪っている。どのストリーミングの会社も私たちのことなんか気にもかけていない。
悲しいのは、ストリーミング自体は素晴らしいテクノロジーで、音楽を共有できるクールな方法なのに、彼らがミュージシャンに参加を求めたり、その望みを聞いてくれないことよ。だから、私たちミュージシャンには悲しい時代なの。

それでも私たちは音楽で人びとに寄り添い、心地よさを感じさせ、気にかけてもらっていると感じさせ、慰めたりするために、決して手を抜きたくない。そういったことを今一度実現したかった。おそらく二度とできないだろうけど、それを成し遂げたことで、本当に良い気分よ。

―ストリングスの編曲は、デヴォーチカのメンバーでもあるトム・ヘイガーマンを起用しましたが、その編曲について、自分でも作曲の段階から明確なアイデアはあったんですか?

ニーコ:ええ。でも、私は彼に白紙委任状を与え、彼はその重責を担った。彼がとても興味深いことを言っていたの。自分を雇う人の多くは、オーケストラにオーケストラらしい演奏を望んでいない、と。彼らの求めるのはサウンドの土台で、大きな音の広がりを望んでいるが、動きのある音はあまり望んでいないそうよ。それを聞いて、「私は音を動かしてほしい。オーケストラで表現してほしいの」と伝えた。その結果、私が注文をつけたところはごくわずか。ほぼ全てが素晴らしくって、大きな変更はほとんどなかった。本当に才能のある人ね。

55歳になって若さを見つけた

―アルバムは「Destination」という曲で始まります。自分の選んだ道を歩む誰かに向けて、そしてその人のために歌う曲ですね。そして自分自身こそが本当の「目的地」なんだ。つまり目的地とは、ありのままの自分であることだと歌っています。

ニーコ:実際に何人かの人たちのことなの。音楽界で活動を始めた頃、私の知っている女性たちが、別の生き方があるって教えてくれた。彼女たちはありのままの自分らしさを貫いていて、本当にカッコよかった。何があっても絶対に音楽をやめないって覚悟でいた。他人を感心させるためじゃなくて、自分自身のためにそこにいた。彼女たちを心から尊敬している。

―「Winchester Mansion of Sound」は亡き友人について歌った曲のひとつですね。フラット・デュオ・ジェッツ(1983年から1999年まで活動したノースキャロライナ州のサイコビリー系バンド)の彼に捧げた曲ですよね?

ニーコ:デクスター・ロムウェバーね。

―素晴らしいミュージシャンでした。

ニーコ:そう。彼は本当に、様々な意味で私にとってとても大切な存在だった。そして、ご存知の通り、若くして亡くなってしまった(2024年2月に57歳で死去)。亡くなる前にも、私はかなり長い間心配していたの。本当に突然だったけど、でも、どういうわけか、それが来るとわかっていた。だからこそ、彼の死に心が痛んだの」

―謎めいた伝説のある豪邸「ウィンチェスター・ミステリー・ハウス」の名前を使っているのは、彼には謎めいたところがあったということ?

ニーコ:そうね。彼はとても野性的なミュージシャンで、情熱的で、人の助けを借りない人間だった。偽ったり演技したりするタイプじゃなかった。彼の曲やメロディー、歌詞はしばしばどこにも行きつかなかったり、奇妙だったりしたけど、それでも彼が歌うとしっくりいった。ロッキー・エリクソンやダニエル・ジョンストンにも似ていると思う。無意味で馬鹿げているとも思えるものなのに、聴き手の心を動かす力が本当に強烈なの。それは紛れもないソングライティングの才能だった。ただ、それは素晴らしくも、とても奇妙でもあったから、私も最初はよくわからなかったけど、やがてその音楽を愛するようになった。

―「Rusty Mountain」の歌詞にはこんな興味深い一行がありますね。〈私たちはラブソングより、もっと良いものを受けるに値する〉って。

ニーコ:つまり、愛についての陳腐な表現より、もっと良いものを私たちは受けるに値するってこと。愛についての決まり文句ではなく、心のこもった愛の告白を受けるに値する。
私はいわゆるラブソングを書くのが苦手。つまり私の曲はラブソングだけど、異性愛の普通の男女の恋愛を歌ったものじゃない。そういうのが最も人気のある曲で、いつだってみんなが書こうとしているものよね。でも、私はある種のポップ・ソングの怠惰さや、「ユー」と「ブルー」みたいな安易な韻に飽き飽きして、もっと良いもの、もっと努力したものを求めている。もちろん、今もそういう手法で書かれた素晴らしい曲は存在するし、私は世界一のソングライターじゃないから、みんなに説教する立場じゃないのは分かってる。でも、ラブソングにはもう少し努力を注いでほしい。

―このアルバムの「Wreck」みたいな曲はすごく情熱的だし、その情熱の表現の仕方は本当にユニークで、すごく好きですよ。

ニーコ:ありがとう。

―「Oh, Neglect…」では、〈再び若さを見つけた〉と歌っている。実際に若さを感じています?

ニーコ:ええ。女性は年を取るとお払い箱だと思われているみたいだけど、私はそう感じない。今まで以上に自分らしく感じているし、今まで以上に猛々しい気分よ。これまでになくアイデアが湧いてきて、本当にたくさんある。とてもエネルギーに満ちているの。1週間半ほど前に55歳になったばかり。そのときに思ったの、人生の折り返し地点にたどり着いたって(笑)。

―特に音楽業界やエンターテインメント業界では、女性が年をとることはむずかしい。

ニーコ:でも、私は55歳になるのが楽しみだったわ。年をとったからどうだとか、もう気にもしない。年を重ねた分だけもっと能力があると、今まで以上に自信があるから。だから、その年代のどこが魅力的じゃないというのかわからない。この感覚をみんなに55歳になって味わってほしい。若い頃、40歳くらいで諦める人たちを見て、”40歳になると、こうなるのか”と思った。でも、実際は全然違う。だから叫びたくなる。”ねえ、最高よ!本当に素晴らしい! ゆっくりでいいから、絶対にたどりついて。楽しみにしていて”とね。

―最後の曲「Match-Lit」ですが、これもまた亡くなった友人に捧げられた曲なんですね。

ニーコ:大事な友人だったセイディーズのダラス・グッドね。

―セイディーズは素晴らしいカナダのバンドですね。

ニーコ:ええ、本当に。若すぎる死だった。まったく予期せぬ突然のことで。カナダは世界でも有数の広大な国土を持ちながら、人口は少ない国だから、彼が亡くなった時はまるでカナダ東部の電力網がすべてダウンしたような衝撃だった。彼は本当に輝く光のような存在だったの。

そんな大きな反響は驚きじゃなかった。彼は良い意味でまさに現実離れした存在だったから。心から尊敬しているし、一緒に過ごした日々を今でも思い返す。彼は私の初めてのソロ・アルバム発表後のツアーに同行してくれたの。しかも、実際に会う前から参加を承諾してくれて、すぐに本当に良い友だちになった。彼は決して見下したりせず、いつも私を対等な仲間の一員として扱ってくれた。私の実力だけを見てくれたことに本当に感謝している。多くの男たちはそうしてくれない。彼らに偏見をもたれて、距離を置かれ、これまでに何度も傷ついた。ダラスは性別を問題にせずに受け入れてくれた数少ない一人だったの。

 *

その曲のアウトロで、ニーコはダラスの好きだったミッキー&シルヴィアの1956年のヒット曲「Love Is Strange」を共通の友人リチャード・リード・ペリーと歌ってアルバムを締めくくるが、そこで聞こえる時計の音を刻むような音は「実は日本の猫の玩具なの」とのこと。そこでも、日本贔屓を垣間見せた彼女は2007年のニュー・ポルノグラファーズのツアー以来の来日を熱望している。是非とも実現してほしいものだ。

Neko Case、オルタナ・カントリーの女王が語る「死」と向き合った50代の現在地

ニーコ・ケイス
『Neon Grey Midnight Green』
発売中
再生・購入:https://nekocase.ffm.to/neongreymidnightgreen
編集部おすすめ