ロックの殿堂入りアーティストであり、1970年代半ばにディープ・パープルのボーカルを務め、その後50年以上にわたってホワイトスネイクを率いてきたデイヴィッド・カヴァーデイルが、ついに引退を発表した。

「レディーズ&ジェントルメン、ボーイズ&ガールズ、スネイクの兄弟姉妹たちへ。
特別なお知らせがあります」と、カヴァーデイルは投稿した動画の中で語った。「ディープ・パープル、ホワイトスネイク、そしてジミー・ペイジとの活動を含む50年以上にわたる素晴らしい旅路ののち、ここ数年で僕は本当に”ロックンロールの厚底ブーツとスキニージーンズを脱ぐ”時が来たと痛感していました」彼は続けてこう語った。

「見ての通り、”ライオンのウィッグ”はもう終わりにしました。幕引きの時が来たのです。心からみんなを愛しています。この驚くべき旅に関わり、支えてくれたすべての人に感謝します。ミュージシャン、スタッフ、ファン、家族。本当に素晴らしい時間でした。ですが、今こそ僕は引退を楽しむ時なのです。その気持ちを理解してもらえたらうれしいです」

【動画】デイヴィッド・カヴァーデイルの引退メッセージ

カヴァーデイルが名声の頂点に立ったのは1987年。ホワイトスネイクが『Here I Go Again』と『Is This Love』という2つの大ヒット曲を生み出したときだった。当時の恋人トーニー・キタエンが両曲のMVに出演し、ホワイトスネイクはデフ・レパード、U2、INXSと並んで、その年のMTVを席巻する存在となった。


ディープ・パープル、ジミー・ペイジともタッグ

商業的成功を収める14年前、カヴァーデイルはディープ・パープルのフロントマンとしてのチャンスを得た。ベーシストのグレン・ヒューズとともに、当時バンドを去ったイアン・ギランの後任として参加したのである。この新しいラインナップによるディープ・パープルは、1974年の『Burn』と『Stormbringer』、そして1975年の『Come Taste the Band』という3枚のアルバムを発表し、世界中をツアーで回った。しかし1976年、ギタリストのトミー・ボーリンがヘロインの過剰摂取で亡くなった直後にバンドは解散。2年後、カヴァーデイルはホワイトスネイクを結成した。

1993年にはジミー・ペイジとタッグを組み、「Coverdale–Page」と題したコラボレーション・プロジェクトを立ち上げた。初期の話題性こそあったものの、アルバムのセールスは振るわなかった。カヴァーデイルが「Kashmir」「Rock and Roll」「Whole Lotta Love」などレッド・ツェッペリンの名曲を歌うツアーも、日本公演を終えたところで中止となった。

90年代初頭のオルタナティヴ・ロックの台頭以降、多くの同時代バンドと同じく、ホワイトスネイクも存在意義を見失う苦境に立たされた。それでも彼らは2000年代から2010年代にかけてツアーとレコーディングを続けた。最後のアルバムは2019年の『Flesh & Blood』で、最後の公演は2022年6月23日、フランス・クリソンのヘルフェストで行われた。本来はフェアウェル・ツアーとしてさらに多くの公演を予定していたが、健康上の問題により断念せざるを得なかった。


「去年は本当にひどい状態だった。間違いなく、人生で最悪の副鼻腔感染症にやられたんだ。シンガーとして、そういう病気には詳しいつもりだけど、これはまるで親戚みたいなもんさ」と、カヴァーデイルは2023年の『Ultimate Classic Rock』誌で語っている。「こんなに醜悪な病気はこれまでになかった。7か月もの間、どんどん強くなる抗生物質と恐ろしいプレドニゾン(ステロイド)を飲み続けていたんだ」

そして今年初め、ホワイトスネイクの元メンバーたちが「Whitesnake Experience by the Members of Whitesnake」として公演を行い始めた。カヴァーデイルが正式に引退を表明した今、それこそがファンにとって”本物のホワイトスネイク体験”に最も近いものとなっている。

From Rolling Stone US.

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