山中千尋のメジャーデビュー20周年を記念したベストアルバム『Best 2005 - 2025』と最新アルバム『Ooh-La-La』がリリースされた。

ベスト盤の発表を機に、山中千尋の20年を過去作を聴き返しながら振り返ってみた。
あらためて気づかされるのは、彼女がきわめてユニークな音楽家であるということだ。「バークリー音大卒業のストレートアヘッドなジャズ・ピアニスト」という印象があるかもしれないが、実際にはオリジナル曲における作編曲のアプローチは独自性に富み、カバーの選曲もジャズの常識にとらわれていない。そのカバー遍歴にフォーカスして、本人に話を聞いたのが以下のインタビューである。

ジャズが好きな方なら、ジェリ・アレン、イリアーヌ・イリアス、ミシェル・ペトルチアーニ、スティーヴ・スワロウ、ラーシュ・ヤンソンという幅広い顔ぶれから守備範囲の広さを察することができるだろう。さらに山中の特異性は、日本の楽曲の選曲にこそ際立っている。近藤真彦、中島みゆき久保田早紀ゴダイゴ坂本龍一、EGO-WRAPPIN'……彼女は歌謡曲J-POPを何度もジャズ化し、原曲のイメージを大きく刷新する形で演奏してきた。

カバー曲から振り返る山中千尋の20年。一見すると変則的な切り口だが、そこから彼女の本質、音楽観やルーツが浮かび上がってきたように思う。

山中千尋が語る「カバー論」 鮮やかな再解釈が示すジャズピアニストとしての核心

Photo by Hibiki Tokiwa

ジャズ観とリスナー気質

―山中さんのこれまでのアルバムを改めて聴き直してみて、その幅広さに驚きました。山中さんにとって、ジャズというのはどういう音楽って認識なんでしょうか?

山中:ジャズって本当にいろんな形がありますよね。今ではアーティストの数だけジャンルがあると言っていいくらい、さまざまなスタイルがあると思います。ジャズは時代に合わせて新陳代謝を繰り返しながら変化していく音楽で、そうやって生き続けてきた。
流行がまた巡ってきたり、古いものが新しく聴こえたり。そういうふうに時代とともに変化していく、生きた音楽だと思います。

―最初に惹かれたジャズは何でした?

山中:すごく好きだったのはミシェル・ペトルチアーニですね。ペトルチアーニが日本に来たとき、コンサートを観に行ったんです。実はそのときまでは彼のことをよく知らなかったんですが、演奏を聴いてすぐに好きになりました。曲がキャッチーでメロディアスで、それがとても印象的だったんです。そこからハービー・ハンコック、マッコイ・タイナー、ビル・エヴァンス、オスカー・ピーターソン……そういったピアニストたちが好きになりました。もちろんチック・コリアも大好きでしたし、あとはジェリ・アレンとか。とにかく聴くのが楽しかったんです。

―ペトルチアーニを聴いたのは、誰かに勧められたんですか?

山中:偶然でしたね。最初に聴いたのはアルバム『Power of Three』で、「あ、いいな」と思って。

―山中さんはスタンダードも多く演奏されていますが、マニアックなジャズミュージシャンの曲をカバーすることも多いですよね。
例えば、ペトルチアーニはこれまでに3曲も取り上げています。

山中:ペトルチアーニは本当に好きなんですよ。彼はテーマと同じくらいのクオリティでソロを構築していく。そのアイデアと展開がすごくて、聴いていて「次のテーマがもう来た!」と感じるほど。実際に弾いてみると本当に難しくて大変なんですけど、力強くてダイナミックで、私にとって特別な存在でした。独自の世界観を持ったピアニストですよね。ビル・エヴァンスっぽいと言われることもあるけど、実際は全然違う。

―ですよね。彼は独自のスタイルを築いたと思います。

山中:でも、以前NYでミュージシャンから聞いた話では、ケニー・バロンが「ペトルチアーニとは付き合うな、彼は手強いぞ」って言ってたそうなんです(笑)。人間的にも複雑な部分があったみたいで。そういうところも含めて彼は本当に特別な人でした。


―もうひとり何度も取り上げているのがキース・ジャレットです。山中さんは彼の曲を5曲もカバーしています。

山中:キース・ジャレットも本当に好きです。ただ、最初は彼の良さがちょっとわからなかったんですよ。でも、スタンダード・トリオが好きになり、そこからどの時期の彼も好きになりました。

―どんなところに惹かれますか?

山中:うーん、どこが好き、というより全部ですね(笑)。

―それにしても、キースのオリジナルを何曲も取り上げるのは珍しいですよね。

山中:私は彼の作曲そのものに魅かれてやっている感じです。音色も素晴らしいし、表現の幅も広い。どの要素を見ても、彼を凌駕する人はいないと思います。あのスタイルは唯一無二ですよね。

―好きなアルバムを挙げるとしたら?

山中:やっぱり『Still Live』とか、『Standards』シリーズは好きですね。
あと、ちょっと変わったところでは、彼が歌っているアルバム(『Spirits』)も好きです。少し狂気があって(笑)、でもすごく魅力的。

―山中さんの選曲は独特なんですよね。キースの”スタイル”ではなく”曲そのもの”に注目しているのが面白いです。

山中:そうですか?(笑)でも、キースの曲は出版の許可が下りにくいって聞いたことがあります。だからみんな避けるんじゃないかって。たまたま私は取れたんですけど、(その辺りの事情は)よくわかりません(笑)。

山中千尋 plays キース・ジャレット&ミシェル・ペトルチアーニ(筆者作成)

―ペトルチアーニやキースに限らず、山中さんのカバー選曲って本当に面白いです。たとえば、イリアーヌ・イリアス「Impulsive」、ジェリ・アレン「RTG」、ルイス・エサ「The Dolphin」、スティーヴ・スワロー「Falling Grace」など、良いところを突くなって。こういう選曲ってどういうふうに決めているんですか?

山中:本当に感覚的ですね。実は私、ECMみたいな音楽を作りたかった時期もあって。だから、カーラ・ブレイのようなピアニストが大好きなんです。
今挙げてくださったのはたまたま女性アーティストが多いですが、そういう意味もあるかもしれません。勉強して選ぶというより、何となく聴いていて「これ弾いてみたいな」と思う感じですね。

―好きな曲をやると。

山中:そうです。純粋に好きな曲です。

―それってリスナー的な感覚に近い、とも言えそうですか?

山中:うん、完全にリスナーとしての好みで選んでいます。

―たとえば、デニー・ザイトリンの「Quiet Now」とかもそうですか? 

山中:ああ、やりましたね。たぶん、私は根っからのリスナーなんだと思います。音楽を聴くことが本当に好きなんです。カフェに行っても常に音楽を聴いていますし、すぐに調べちゃう(笑)。聴くのがとにかく楽しいんです。

―たとえばコード進行が面白いからとか、分析的な理由から取り上げたケースもありますよね?

山中:もちろんあります。
たとえば「Giant Steps」とかは全部リハモ(リハーモナイゼーション)してやったりとかもしてますし。あと、学生時代にそういう障害物競走みたいな曲ばかり練習していたんですよ。アート・ブレイキーの「Mosaic」みたいなリズムの難しい曲をどんどん演奏していた時期があって。あとはアヴィシャイ・コーエンとか、ミゲル・ゼノンがいた”Breaking Ensemble”というグループで7拍子の変拍子の曲ばかりやっていたのとか。音楽的な意味づけというより、みんなで「これを乗り越えよう!」みたいな感じですね。若いときはそういう挑戦が面白い。今思うとそういう経験を経たことで、曲の”素直な良さ”にも初めて気づけるようになった気がします。難しい曲を弾くだけじゃなく、素直に「いい曲だな」と思える感覚が大事なんだなって。

ベストアルバム『Best 2005 - 2025』に収録された「Giant Steps」

―先ほど「ジャズ喫茶によく行く」とおっしゃってましたけど、山中さんの選曲って、いわゆるジャズ喫茶的な香りのする曲も多い気がします。たとえばマッコイ・タイナーの「Mode for John」とか。この曲を取り上げる人はほとんどいない気がします。

山中:確かに少ないかも。私自身、ジャズ喫茶的な匂いのするものが好きなんだと思います。『The Real McCoy』とかも本当に素晴らしい。マッコイは大好きですね。

日本のポップスをジャズで奏でる試み

―今日は山中さんがこれまでどんな曲を取り上げてきたのか、リストアップして調べてきたんです。歌もののポップスもかなりやってますよね。

山中:そうなんですよ。自分でも思います(笑)。

―今回の『Ooh-La-La』でも近藤真彦の「スニーカーぶる~す」をカバーしています。これはどんな基準で選んだんですか?

山中:特に明確な基準はないんです。今回のアルバムは全体的にブラジル系の曲が多いですが、それらは普段ライブでもよくやっている曲なんです。だから今回は”ライブのような雰囲気で録ろう”というコンセプトでスタジオ録音しました。その中に「スニーカーぶる~す」のようなちょっと違うテイストのものを入れてみたんです。ここでは原曲とは違う世界が表現できればと思って選んでます。アレンジ次第でまったく別の世界にできるかな、という気持ちでしたね。

―もともとマッチ(近藤真彦)のファンだった?

山中:いや、そうではないんですけど(笑)。あの曲を聴いていたら「もっと違う歌い方もあったかも」というアイデアが浮かんできたんです。「こういうふうにも表現できるんだよ」というのを示したかったんですよね。

―過去にもマッチの曲をカバーしてますよね。「Summer Wave」なんですけど、どちらも筒美京平さんが作曲してますよね。

山中:そうです。実は「Summer Wave」は、中古レコード屋でたまたま手に入れたアルバムに入っていたんです。筒美京平先生は素晴らしい作曲家だと思います。あのメロディセンスはもう天才的ですよね。あれだけの一時代を築いて、多くの人々の記憶に残る歌を作れるって、本当にすごいことですよね。誰もが口ずさめるけど、誰にも作れない。誰も真似できないポップスを生み出せることが、何よりもすごいと思います。

―ただ一方で、筒美さんやその時代の歌謡曲は癖が強くて、カバーは難しそうな印象です。でも、山中さんが演奏するとナチュラルに聴くことができるし、過去のアルバムにも違和感なく収まってるんですよね。 そこは”歌謡曲っぽさ”というより、筒美さんの中にある”洋楽的な要素”だけを抽出しているのかなとも思ったのですが、いかがでしょう?

山中:そうですね。筒美さんのメロディって、いわゆる”しょうゆ味”でもなくて、日本的すぎるわけでもない。その中間の絶妙なバランスがあると思うんです。だからアレンジしやすいし、遊び心を入れられる余地がある。だから筒美さんの曲をアレンジするのは本当に楽しいんですよ。他にもやってみたい作曲家はたくさんいますけど、筒美さんは特にアレンジしがいがある方ですね。

―そしてもう一人、2曲カバーしているのが中島みゆきさんですね。例えば、「A Sand Ship(砂の船)」はどういう理由で選ばれたんですか?

山中:あの歌詞の世界観がすごく好きで。まるで中島敦の『山月記』のような風景が浮かぶというか。静謐で、誰もが月の美しさに息を呑んで動けなくなるような情景ですよね。そこがたまらなく好きで、あの曲を選びました。

中島みゆきさんの曲だと 「まつりばやし」も取り上げたことがあります。(デューク・)エリントンの「Happy-Go-Lucky Local」に繋いだアレンジにしてみて。ちょっと力を入れて、あの独特の雰囲気を足したら面白いんじゃないかと思って。

―昔の中島みゆきさん、少しフォークっぽくてダークな時代の方が好みなんですかね?

山中:そうですね。ちょっと暗くて、アンダーグラウンド感のある曲が好きなんです。

山中千尋の歌謡曲~J-POPカバーをまとめたプレイリスト(筆者作成)

―そして、坂本龍一さんも何度か取り上げていますよね。

山中:坂本さんの曲って、とてもメロディアスで美しいですよね。それでいて緻密。いろんな構造があって、でもすごく自然に聴こえる。そういうところが好きです。ジャズで弾くとすごく面白いんですよ。だからちょっとトライしてみたくて。チャンスがあればやってみよう、という気持ちで取り上げました。

―坂本さんの曲のなかでも、特にキャッチーなものを取り上げてますよね。『スムーチー』収録の「愛してる、愛してない」とか。

山中:それはベーシストのヨシ・ワキが持ち込んできたんです。もともとその曲自体をよく知らなかったんですけど、聴いてみたら「あ、なんか聴いたことある」と思って。

―ほかにも久保田早紀「異邦人」、EGO-WRAPPIN'「かつて..。」、かまやつひろし「やつらの足音のバラード」とか、本当に幅広く演奏してますね。

山中:「やつらの足音のバラード」は「Three Views Of A Secret」(ジャコ・パストリアス)と一緒にやったんですけど、すごく気に入ってます。「かつて..。」は中納良恵さんのボーカルが大好きなんです。

編曲という創造、ジャンルの越境

―カバーについては選曲の妙だけでなく、その編曲に対しても特別なこだわりがあるのかなと思ったんですが。

山中:ありますね。私は昔から”書く”ことが好きなんです。絵を描くことも好きだし、デザインするのも好き。私にとってアレンジって、そういう創造的な作業に近い感覚なんですよ。アレンジ次第で、同じ曲がまったく違う風景に見える。それが本当に面白くて、アレンジにどんどんハマっていきました。

―山中さんはピアニストとしての印象が強いけど、改めて聴き返すと編曲へのこだわりがすごくて、そこに強い個性があるのではないかと感じました。

山中:実は私、大学時代にビリー・チャイルズに少し習ってたんです。彼のワークショップがすごく面白かった。方法論がしっかりしていて、アレンジに対する考え方がまったく変わりました。すごく影響を受けたと思います。

―自分のアレンジの特徴を挙げるとしたら、どんなものだと思いますか?

山中:実はそんなに複雑なことをやっているわけではないんです。一つひとつのパートを”塊”として考えて、それを積み上げていくような作業です。ただ、最初の段階で頭の中に設計図みたいなものがふっと浮かぶんですよ。「こうしたら面白いんじゃないかな」というイメージがまずあって、それに沿って全体を組み立てていく感じです。

―アイデアが降りてくるような感覚ですか?

山中:そんな大げさなものではないですけど(笑)、近いかもしれません。ふっと浮かんでくるんです。

―最新アルバム『Ooh-La-La』は先ほどの話にもあったように、ブラジル音楽が多く取り上げられています。

山中:大好きなんです。まだ何も知らなかった頃から、ナラ・レオンとかエリス・レジーナとか、そういう歌手をたくさん聴いていました。彼女たちを通していろんな曲を知って、ボサノヴァだけじゃなく、サンバやMPBにもどんどん惹かれていった感じです。ジョアン・ジルベルトやミルトン・ナシメントも大好きです。

―ブラジルの曲はこれまで何度もカバーしていますよね。今回も通好みな選曲があります。例えば、セザール・カマルゴ・マリアーノ「Curumim」。

山中:実は村治佳織さんと共演したときに、セザール・カマルゴ・マリアーノの曲を一緒に演奏したことがあって、それがきっかけでもっと好きになりました。素敵な曲が多いんですよね。

―原曲もピアノとギターのデュオで演奏されたものなので、村治さんとのデュオにはぴったりですね。ブラジル音楽に関してはどんなところに一番惹かれますか?

山中:いろんな拍子やグルーヴがあって、すごく躍動的なんだけど、同時に郷愁を感じるメロディがある。そこがたまらなく好きです。新作ではそこを意識しました。「Curumim」もそうだし、「Vera Cruz」(ミルトン・ナシメント)や「Tristeza」(ハロルド・ロボ)もそんな曲ですよね。

―新作で気になったのがラーシュ・ヤンソン「Marionette」のカバーです。20年前にも彼の曲をやってましたよね。

山中:最初のインディーズ時代のアルバム『Living Without Friday』で「Invisible Friends」をやりましたね。今回、久しぶりに弾いてみようと思って入れました。ラーシュ・ヤンソンは、メロディの作り方が自然なんです。すごく強いメロディを持っていて、一度聴いたら忘れられない。誰が弾いても「あ、ラーシュの曲だね」ってすぐわかる。そういう個性があるんですよね。しかも音数が多いわけではないのに、空間の広がりがある。リヴァーブの使い方もとても美しいし、その”間”のセンスが好きなんです。

―彼の音楽にはどうやって出会ったんですか?

山中:バークリー時代の私の先生が、スウェーデン人のブルーノ・レイバーグだったんです。彼が北欧の音楽をたくさん教えてくれて。そこから自然と知りました。

―なるほど。北欧の音楽的感覚って、アメリカのジャズとは少し違いますよね。

山中:そうですね。アメリカ寄りのジャズと、ヨーロッパや北欧のジャズって方向性がまったく違う。でも、どちらも素晴らしいし、両方を行き来できるのが面白いところです。

―山中さんのジャズにはその両方が共存していますよね。アメリカもヨーロッパも好きだし、オルガンも弾くし、新しい人たちの音楽も聴いてるし、歌謡曲やJ-POPからアヴァンギャルドな方面にまで精通している。ここまで幅広く自由に取り入れてやっているジャズ・ミュージシャンってなかなかいないと思うんですよ。

山中:うん。だから、もしかしたら私はジャズ・ミュージシャンじゃないのかもしれません。これからどうしたらいいんでしょう?(笑)

―いやいや(笑)。ジャズミュージシャンじゃないなら何なんですか?

山中:うーん……ただの音楽好きかな。やっぱり音を聴くこと自体が楽しいんです。その瞬間にすごくワクワクして、「これ、自分でも表現してみたい」と思う。それが今も一番の原動力です。

―世間のイメージって、もっと正統派ピアノ・トリオみたいな感じじゃないですか。

山中:そうですよね。女性ピアニストで、アコースティックなトリオをやってる、みたいな。たぶん私はちょっと変わってる方だと思います。もっとその”変なところ”を出した方がいいのかもしれませんね(笑)。

山中千尋が語る「カバー論」 鮮やかな再解釈が示すジャズピアニストとしての核心

山中千尋
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