出自は超過激な演劇集団、曲馬館
──まず、演劇界における水族館劇場の特色、特異性みたいなものから伺いたいのですが。
山田:僕が初めて水族館劇場を観たのはゼロ年代に入ってから、駒込大観音の境内でやっていた舞台でした。そもそも桃山さんの出自は曲馬館という70年代に最も過激だったアングラ劇団ですよね。
桃山:桃山と言います。曲馬館は僕が最初に芝居に身を投じた劇団でしたが、1987年から現在に至るまで水族館劇場という劇団で作・演出をやっています。最初にちょっとお断りしたいのですが、PANTAは僕にとっては憧れのスターで、本来なら「PANTAさん」とお呼びするべきなんでしょうけど、僕は昔からずっと「PANTA」と呼び捨てにしているので、今日もそう呼ばせてください。
PANTA:結構でございます(笑)。
桃山:すみません(笑)。自分にとっては15歳の頃からずっと「PANTA」なので、「PANTAさん」って言うと憧れのロックンローラーに対して逆に失礼じゃないかと思って。
PANTA:(肩を叩きながら)気にしないでよ、「桃山」(笑)。
桃山:…あの、簡単に説明しますね。曲馬館というのは、公園でテントを立てると邪魔な木は全部切り倒して、曲馬館が通った後は草木も生えないと言われた劇団です。札幌の中の島公園では曲馬館の後に他の劇団が舞台をやれなくなったこともあります。名古屋では河原にトラックを乗り入れようとして、金鋸で柵のチェーンを切っちゃって行政が慌てて飛んできたこともありました。
──繁華街でのゲリラ宣伝で警官と衝突するなどの揉め事は日常茶飯事で、舞台に火を放って燃やしてしまったり、芝居の中で車に火炎瓶を投げて燃やして鉄パイプで窓を叩き割ったり、即興でプロレスのリングを作って役者同士で本気でドロップキックを喰らわしたりしたという逸話を聞いたことがありますけど(笑)。
桃山:ありましたね(あっさりと)。あと、かつて新井薬師前駅の辺りに東京外国語大学の日新寮というのがあって、そこでいろんな劇団がテント芝居をやるということで曲馬館も参加したんですが、執行部がビビって機動隊を導入したんですね。その機動隊に曲馬館は全員で突っ込んでいって、15人が逮捕されました。
PANTA:あまり利口じゃないんだね(笑)。
桃山:その時に曲馬館の弁護をしてくれた唯一の演劇人が、PANTAが音楽を担当した舞台をやっていた菅孝行さんだったんです。
PANTA:演劇集団・不連続線の主宰だった菅さんだね。俺が水族館劇場を初めて観たのは新宿の花園神社だったんだけど、その前に山田君から「絶対に観るべき」というお勧めがあってね。東京ではあまり観られない劇団なので、山田君は三重や福岡まで行って観たらしいんだけど、ちょうどそのタイミングで石川セリから俺に連絡があったんだよ。
山田:2012年に水族館劇場が博多の海の近くにテントを張って公演をやったんです(ベイサイドプレイス博多で行なわれた『NADJA夜と骰子とドグラマグラ』)。
──PANTAさんと山田さんは古いお付き合いなんですか。
PANTA:古いねぇ。いつからだっけ?
山田:20数年前くらいですかね。
PANTA:去年、亡くなってしまった高取英が月蝕歌劇団を立ち上げたのと同じタイミングで山田君と出会ったんだと思う。
山田:松山の市街で行なわれた『人力飛行機ソロモン・松山篇』という公演(2008年11月)を一緒に観ましたよね。
PANTA:うん。
山田:『坊っちゃん』の絵の前で一緒に写真を撮ったりもして(笑)。
PANTA:そんな流れで、今日の桃山君の話はかなり難しいだろうから通訳として山田君に来てもらったんです(笑)。
音楽が主役になるための寸劇があってもいい
──水族館劇場はやはり通訳・翻訳をするのが難しい劇団ですか。
山田:だいぶ難しいですね。
PANTA:曲馬館が演劇史の中でどういった位置づけなのか俺にはわからないし、第一、芝居中に火炎瓶を投げる劇団なんて聞いたことがないじゃない?(笑)
桃山:曲馬館から派生した風の旅団という、桜井大造さんがリーダーのテント劇団があったんです。その風の旅団の名作に『クリスタルナハト』という舞台(1984年)があるし、そもそも頭脳警察には「風の旅団」という名曲があるし、桜井さんは僕の先輩ですけど、やっぱりPANTAとはいろいろと繋がっていると思うんですよ。
PANTA:俺はとにかく、菅さんとの出会いが衝撃的だった。芝居のシの字もわかっていなかった人間からすると、なんでこんなに芝居がヘタで、ろくに歌も唄えない役者ばかり集めているんだろう?と思ってさ(笑)。でもそれが不連続線の趣旨だとわかったし、進藤都夫とか役者の連中ともだんだん仲良くなったんだけど、現代劇がなぜいきなり時代劇になるのか?とか、そういうのが最初は全然理解できなかった。
山田:PANTAさんが最初に劇伴を手がけたのは不連続線が最初だったんですか。
PANTA:その前に、劇団日本の三原元(「人間もどき」の歌詞を共作、「最終指令“自爆せよ”」と「オリオン頌歌」の歌詞を担当)が手がけた『ヤマトタケル』という芝居に曲を提供したのが最初かな。
山田:芝居で関わったのは菅さんが2人目で、長い付き合いでしたよね。
PANTA:最初から最後まで関わったよ。初演『にっぽん水滸伝』から『にっぽん水滸伝二の替わり魔界転生血風録』、『にっぽん水滸伝最終指令自爆せよ』、『いえろうあんちごね特別攻撃隊スターダスト』、『いえろうあんちごね第二部敵中突破悪所之荒事』、『いえろうあんちごね第三部凶状旅奥之細道』まで全部。不連続線で制作と進行をやっていた小野沢(稔彦)君はのちに足立正生監督の『幽閉者テロリスト』(2007年)でプロデューサーを務めているし、制作をやっていた伊藤(裕作)君はいま水族館劇場のスタッフ兼役者をやっているんだよね。
──PANTAさんは若い頃から演劇の世界に精通していたんですか。
PANTA:菅さんからの影響が大きいよ。そうじゃなければ演劇に対して興味を示さなかったと思う。たとえばロック・バンドが劇団とコラボしようとしても、ロックの連中は大抵わがままで主張が強いから演劇の連中とは絶対に反りが合わないわけ。あくまで演劇が主役で、音楽は脇にあるものだからね。だったら音楽をやる俺たちが主役になって、そのための寸劇があってもいいんじゃないかという発想で生まれたのが「前衛劇団“モーター・プール”」だった。当時で言えばジェネシスとかの影響もあったかもしれない。音楽の中に芝居を取り入れてもいいんじゃないかというね。
──時代的にそういった手法を取り入れるのが早かったですよね。
PANTA:頭脳警察というバンド名はフランク・ザッパの「Who Are The Brain Police?」から取っているけど、マザーズ・オブ・インヴェンション自体が非常に演劇的でドラマティックなバンドだったよね。ジェネシスやピンク・フロイドといったプログレのバンドも演劇的要素があったと思うし、そういうバンドが群雄割拠していた時代ならではの演劇的発想だったんじゃないかな。
山田:そんなPANTAさんと桃山さんが去年(2018年)、水族館劇場の公演で出会って、『搖れる大地』という次の公演でPANTAさんが音楽を手がけることになったんですけど、それは桃山さんが昔からPANTAさんの大ファンだったことがきっかけなんですよね。
桃山:そうなんです。僕だけじゃなく、ウチの劇団はみんなPANTAさんのファンなんですよ。
山田:桃山さんはPANTAさんに会った時から舞い上がってましたからね(笑)。
PANTA:会うなり「アルバムは全部持ってます! 2枚を除いては」って言うわけ(笑)。
桃山:(観客に対して)わかりますよね?『マラッカ』で一世を風靡した後の…。
──ああ、〈スウィート路線〉ですか。『KISS』と『唇にスパーク』。
桃山:当時、平岡正明さんが『ミュージック・マガジン』で「PANTA、もとに戻れ」という文章を書いて丁々発止のやり取りをしていましたが、PANTAがやりたいことと従来の硬派なイメージを求める聴き手のズレをどう考えるかというのは、音楽に限らずあらゆる表現において通ずるテーマだと思うんです。
*本稿は2019年3月16日(土)にNAKED LOFTで開催された『ZK Monthly Talk Session「暴走対談LOFT編」VOL.6~揺れる大地に~』を採録したものです。