空虚と絶望を抱えた平凡な女性が精神的自立を求める物語

 チョ・ナムジュ著『82年生まれ、キム・ジヨン』は韓国で2016年刊行以来130万部を突破したベストセラー。日本でも斎藤真理子さんの訳で2018年に刊行。
翻訳本としては異例と言っていいヒットで多くの人の、主に女性の共感を呼んでいる。  まずはこの素っ気ないタイトル。韓国で最も一般的な姓のキム、1982年生まれで最も多い女性の名前がジヨンなのだそうで、どこにでもいる、平凡な女性の物語ということが分かる。翻訳本での榎本マリコさんの装画がまた秀逸で、顔のない女性と、その顔の部分に広がる果てしない景色。と言葉にするとグロテスクだが、どこにでもいる平凡な女性の、その心に広がる空虚さ、絶望が伝わってくる。顔のない女性は誰でもないから誰にでも当てはまる。
だから私であり、あなただ。
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キム・ドヨン監督作品『82年生まれ、キム・ジヨン』- どこにでもある平凡な環境がどこにでもいる平凡な女性とならざるを得ないこと、それがどんなに抑圧的であるかをしっかりと描いた作品
 主人公キム・ジヨンは夫と2歳になる娘とソウルのマンションに暮らしている。結婚、出産を機に仕事を辞め専業主婦となっている。そこそこ優しい夫と可愛い子ども。暮らしにはそれほど困ってはいない。マンションから見える朝日や夕日は美しく街並みも小綺麗。
だが、この美しい景色が無言の圧力をかけているようで苦しくなる。この暮らしになんの文句があるの? って。  苦しくなっているのはキム・ジヨンなのだが、映画を観ている私が苦しくなっているのだ。  きっと多くの女性たちも苦しく切なくなるはず。だって自分のことだから。自分のことだと思う場面は至る所に出てくる。
子どもと訪れた小綺麗な公園で「主婦は暇でいいな」などと聞えよがしに嫌味を言われるところ、夫の家への訪問で自分だけが台所に立っているところ、義母からプレゼントと安物エプロンをもらうところ、中学時代に男子高生にストーキングされ助けに来た父親から「服装に気を付けろ。笑顔を見せるな」と言われたところ、娘の好物を知らない父親と弟。等々。それらは世間から見たら些細なこと。その些細なことの一つ一つが静かに重なっていく様子が、丁寧に、生々しく描かれていく。  些細なこと? 違う! 学歴も仕事も男性優先、生き方を限定されていく人生の、どこが些細なことなのだ! 母親の代から、もっと前から続いている男尊女卑。
私たちは叫んでいいのだ。
キム・ドヨン監督作品『82年生まれ、キム・ジヨン』- どこにでもある平凡な環境がどこにでもいる平凡な女性とならざるを得ないこと、それがどんなに抑圧的であるかをしっかりと描いた作品
キム・ドヨン監督作品『82年生まれ、キム・ジヨン』- どこにでもある平凡な環境がどこにでもいる平凡な女性とならざるを得ないこと、それがどんなに抑圧的であるかをしっかりと描いた作品

 決して重苦しいわけではない。キム・ジヨンの母親や姉との関係は信頼に溢れているし、妻を気遣う夫にも愛情はある。だからこそ、どこにでもある平凡な環境が、どこにでもいる平凡な女性とならざるを得ないことを、それがどんなに抑圧的であるかを、しっかり描いてくれている。夫婦、家族の単純な愛情物語に回収させず、そのギリギリの手前で、一人の女性の精神の自立の物語になっている。  キム・ジヨンを演じるチョン・ユミ、その夫デヒョンを演じるコン・ユ、共に繊細で爽やかなのが、希望を感じさせている。
 男性も観てください。そして噛みしめてください。(text:遠藤妙子)