中国のポータルサイト・新浪に2日、「日本人が西洋文化とどう向き合ってきたかは、東京にあるお寺を見ると一番よく分かる」とする記事が掲載された。
記事は、東京の築地というと多くの人が真っ先に海鮮市場を想起するだろうとした上で、築地にはもう一つ見る価値が非常に高いスポットがあり、それが旧築地市場と道路で隔てられた場所にある築地本願寺であると紹介。
そして、日本のお寺の大多数は古来から日本で培われてきた木造建築技術を駆使したもので、そこには古の唐の面影も残していると紹介。その一方で築地本願寺において石材による西洋風建築が採用された背景には、日本の近代史が深くかかわっているのだとしている。
記事は、ペリー来航がきっかけとなり開国、さらには明治維新が起こり、近代に入った日本は西洋の様々な文化を吸収し、その中に西洋の建築理念も含まれていたと紹介。築地本願寺はもともと伝統的な木造建築であったものの、関東大震災で倒壊したことで建築家の伊藤忠太氏が新たな発想をもって現在の建築を設計した伝えた。
その上で、日本人は西洋の理念を受け入れる際に、無条件で取り込んだわけではなく、「和」と「洋」との関係について思考や論争を繰り広げた上で「和洋折衷」という形で吸収していったのだと解説。この和洋折衷のモデルは今や日本の様々な分野で一般的に見ることができ、築地本願寺の建築はその理念を具現化したものなのだと評している。
さらに、唐の面影を現代の中国以上に残していると称され、古代中国の面影を求めて多くの中国人観光客が訪れてきた京都にも、築地本願寺同様に「日本のお寺」とは思えない建築様式のお寺があると紹介。それは明治45年に建立した伝道院で、設計者は築地本願寺と同じ伊藤忠太氏だったと伝えた。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)