外務省によれば、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の4つの島々からなる北方領土は、1945年に当時のソ連によって不法占拠された。その後、日本はずっと返還を要求し交渉を重ねてきたが、いまだに返還には至っていない。
記事が挙げた1回目の機会は「フルシチョフ時代」のことだ。1956年の日ソ共同宣言署名の際、平和条約締結後に歯舞群島、色丹島を日本に引き渡すと明記されたが、日本は4島返還にこだわったほか、日米安保条約改定でソ連を怒らせてしまい、ソ連は態度を硬直させたと伝えた。
2回目の機会は「ゴルバチョフ時代」だ。1980年代になるとソ連の力が衰え、日本は経済面で全盛期を迎えたため北方領土問題解決の光が見えた時期だったという。当時のゴルバチョフ書記長は、北方領土のうちいくつかの島の返還と引き換えに日本からの経済援助を受けようとしていたが、金額で折り合いがつかなかったと言われていると主張した。
3回目は「エリツィン時代」だ。ソ連崩壊は日本にとって大きなチャンスで、1993年には東京宣言に署名し、日ソ共同宣言が有効であることを確認して北方領土問題の交渉継続に合意したと伝えた。この時、ロシア側は2島返還には応じる姿勢を見せたものの、日本は4島返還を譲らず、折り合いがつかなかったと伝えた。
4回目は「プーチン時代」だ。プーチン大統領は北方領土問題の交渉には応じる姿勢を見せ、経済協力について話し合ってきたが、その一方でロシア首相が北方領土へ訪問するなどしており、日本側を混乱させていると指摘した。
確かに、これまでの交渉で部分的な返還のチャンスはあったかもしれないが、あくまで4島返還にこだわる日本としては受け入れられなかったと言えるだろう。