古代中国では、秦王朝の末期に陳勝・呉広の乱という中国の歴史上で初となる「農民の反乱」が発生したと言われている。その後も農民による武装蜂起は何度も繰り返されているが、日本や欧州ではこうした例はほとんどない。
記事はまず、欧州ではローマ帝国時代に各地で反乱が頻発していたと指摘した。しかし、欧州はその後封建時代に入り、支配地域の境界は明確で管理すべき土地がはっきりしており、兵士が隅々に配置されていたので、反乱が起きてもすぐに制圧できたと分析している。また、日本も封建制度だったためか、年貢の取り立てに反発する一揆は起きても、体制を転覆させるような農民の反乱は一度も起きなかったとした。
しかし、中国はそのほとんどの時代が中央集権型で、領土が非常に広大だったという違いがあるという。このため、地方の隅々にまで兵士が配置されておらず、反乱が起きても中央政府まで連絡が行くのに時間がかかり、すぐに軍が出動できないという問題があったと説明した。
それに、古代中国は国境地帯が常に不安定だったので、軍の主力は首都周辺と国境地帯に集中していたことも、反乱発生時に直ちに軍が出動できない理由だったと分析した。しかも、中央集権を強化するため地方の兵力は少なく抑えられており、地方では日常の雑務も多かったので実際の戦力はさらに小さかったという。
それで、地方で農民による反乱が発生すると、地方都市が陥落してようやく中央が制圧のために動き出すが、広大な領土のために移動にも時間がかかり、その間に反乱の規模が増大して手に負えなくなってしまうことが多々あったと解説した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)