1923年6月26日夜9時すぎ、北京の紫禁城(故宮)の建福宮で火災が発生した。

 紫禁城は明朝・清朝時代の皇宮で、当時の皇帝は清朝のラストエンペラー、宣統帝(愛新覚羅溥儀)。
出火からまもなく消防隊が駆けつけたが、宮中には井戸が少なく、消防士らは勢いよく燃え広がる火を前にして成すすべもなかった。そこで紫禁城の外の河からホースで水を運ぼうとしたが、ポンプが1基しかなかったため、まさに“焼け石に水”であった。 

 火は静怡軒から延寿閣に延焼し、延寿閣が崩れ落ちた際に、周囲の宮殿に燃え移った。辺りは火の海と化し、庭園にあった樹齢数百年の松や柏も焼け焦げてしまった。火は28日午前になっても消えず、イタリア公使館が兵士30名を救援に派遣し、7時頃にようやく鎮火した。

 この火事で建福宮付近の建築物が焼け落ちたほか、宮廷内に収蔵されていた仏像やチベット大蔵経などの貴重な文物6千点余りが消失した。その後、出火原因についての調査が行われたが、結局はっきりした原因は分からなかったという。溥儀は翌1924年の10月、第二次奉直戦争に伴うクーデターのために紫禁城を追われた。(編集担当:梅本可奈子)

【関連記事・情報】
【今日は何の日】1946年:国共内戦が始まる(2007/06/26)
社会>コラム>今日は何の日 - サーチナトピックス
編集部おすすめ