1904年7月4日、清朝の宮廷で「殿試」が実施された。

 「殿試」とは3年に一度行われる科挙の最高試験。
この日の早朝、第2段階の試験である「会試」に合格した「貢士」273名が保和殿に上り、まず様々な儀礼を行った。その後、午前10時に皇帝の名義で時勢に関する出題が発せられ、受験者らはただちに論文の作成にとりかかった。回答の文字数に制限はないが2千字程度が通例となっており、日暮れ時が提出期限であった。

 「殿試」に合格すると成績によって「進士及第」、「進士出身」、「同進士出身」の称号が与えられ、高等文官となる資格を得る。また、その中でもトップの成績を収めた者は「状元」、第二位の者は「榜眼」、第三位の者は「探花」の称号を賜った。
 
 科挙制度は隋の時代に始まり、約1300年にわたり歴代王朝で続けられた官吏登用制度だが、古典の知識が偏重されていたために、実務には不向きの官僚を生み出す傾向があった。このため翌1905年に清朝政府は科挙の廃止を発表。1904年7月4日に行われた殿試が最後の科挙試験となった。(編集担当:梅本可奈子)

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