万里の長城と共に、中国の大規模建築物の一つに数えられている京杭大運河。北は北京、南は杭州まで、全長2500キロメートルにおよび、その長さは日本列島の約3分の2以上に匹敵するほど巨大である。
現代も中国の物流を支える屋台骨として活用されている京杭大運河に迫る。

 【造営開始年は隋の時代】

 京杭大運河の造営が始まったのは、西暦587年、隋の時代である。隋の初代皇帝・楊堅が中国最長の河川・長江と、第三の河川である淮河を結ぶ運河を造営したのがその始まりといわれており、この運河は〓溝(かんこう:〓は干におおざと)と呼ばれている。

 この運河造営には当時の中国が南北に分裂していたという背景が存在する。長江と淮河の間には、多くの小さい河川が分布していることから兵の移動が困難であり、中国の統一が進まなかった。楊堅は、中国の統一には長江と淮河の間に運河を造営することが必要と考え、それを実行、そして見事に中国を統一して隋を建国するのである。

 【604年から再開発】

 西暦604年、隋の第二代皇帝に即位した煬帝は、京杭大運河の再開発に乗りだす。中国最大の河川・黄河と淮水を結ぶ通済渠(つうせいきょ)、黄河と天津を結ぶ永済渠(えいせいきょ)、そして長江から杭州を結ぶ江南河を作り上げ、現在の河北省と浙江省をつなぐ大運河が完成したのである。

 【隋の滅亡を招いた煬帝】

 煬帝は中国の歴史を代表する暴君と呼ばれており、隋の滅亡を招いた人物でもある。隋は非常に短命に終わった王朝ではあったものの、中国を南北に縦断する京杭大運河は、経済や文化の交流に大きな役割を果たした。京杭大運河がその後の王朝、更には現在の中国にもたらした恩恵は計り知れないものがある。

 京杭大運河は21世紀の現在も再整備されており、中国経済の物流を担う屋台骨として活躍している。
写真は現在も多くの船舶が行き交う京杭大運河の様子。(編集担当:畠山栄)

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