関連写真:そのほかの中国で報道されている日本に関する写真
中野さんは2008年で58歳。この30年間、40回にわたって中国を訪れた。1995年には河北省秦皇島に小学校を建設、現在に至るまで日中交流の舞台で活躍している。
「君よ憤怒の河を渉れ」が中国で人気を博した後、中野さんは初めて、第1回日本映画祭代表団の一員として中国を訪れた。中野さんは当時について、「青い空や広い大地、今まで行ったことのあるどんな国よりも親しく感じられた。「君よ憤怒の河を渉れ」のチケットはその当時、普通の労働者の半月分の給料ほど高額だったたそうですが、20回以上も見た人がいたと聞いています」と語る。
なぜ「君よ憤怒の河を渉れ」が中国でそんなに人気になったのかという質問には、当時の中国の人々に外国の情報や娯楽をもたらし、そのスリルに満ちたストーリが深い印象を与えたためではないかと答えている。
「当時、行く先々で、もう一度あのセリフをいってもらいませんか、もう一度、テーマ曲を歌ってもらいませんかと頼まれました。またある人は、この映画は新たな時代の到来を象徴しているといい、自分が出演した映画が中国社会の向上に役立ったことがとてもうれしかった」
改革開放が実施されたこの30年、経済の飛躍的な発展に伴い、中国の国際社会での影響力も日増しに強まり、ますます世界の注目を集めている。中野さんは日中友好の大使として、多くの中国の指導者に会い、30年の中国の発展をその目で見てきた。このような豊かな経験を持つ人はそんなに多くはない。こうした貴重な心の財産を伝えていくために、中野さんは映画を撮影することを思い立った。
「30年の日中両国の交流史や、中国の飛躍的な発展を映画で表現したい。そして若い役者さんに演じてもらい、映画を通して日中両国の交流の難しさや大切さ、中国のこの30年の発展の歴史を若者に知ってもらいたいのです」
2008年は日中平和友好条約締結30周年にあたり、中国の改革開放30周年にあたる。中野さんは「中国の国際的な影響力がますます高まっている今、日中両国は互いを理解し、友好交流の成果を世々代々に伝えるために私は力を尽くしていきたい」と心境を語った。写真は中国の女性政治家、呉儀・国務院副総理(左)と話を交わす中野良子さん(右)。
※この記事は、「中国網(チャイナネット)日本語版」による提供です。中国網は中国国務院新聞弁公室の指導を受けて、中国互聯網新聞中心が各国語で運営する、中国政府による中国情報ポータルサイトです。URL : http://japanese.china.org.cn/
【関連記事・情報】
・【今日のブログ】日本人女性との共同生活で感じたこと(2008/11/26)
・【今日のブログ】日本旅行記 京都観光の感想(2008/11/21)
・【今日のブログ】訪日代表団に参加して感じたこと(2008/11/20)
・【今日のブログ】日本で多発する中国人による刑事犯罪(2008/11/06)
・政治>国際関係>日中関係 - サーチナトピックス