「海亀派」と呼ばれる人々のことをご存知でしょうか。「海亀派」とは海外で先端技術の研究や実務に携わった後、帰国しその分野で起業する中国人を言います。
ただしはじめにお断りしておきたいのは、今回、お話しするケースが、一般的、あるいは多々あるケースなのか、極めてレアケースであるのかは、私にはわかりません。ただ私の見聞きしたこととしてお読みいただきたいと思います。
彼は40代後半ですので、「海亀派」の中では最年長の部類に属するのではないかと思います。中国で起業してから約10年、日本向けの機械部品の請負加工を業としています。起業時は、上海の実家の一室を事務所に、日本の顧客から受注した案件を中国のローカルサプライヤーに発注し、自社の管理スタッフに技術指導や検査をさせ日本で通用するよう体裁を整えるといったスタイルでした。
次第に力をつけ、ローカルサプライヤーへ投資し、より影響力、支配力を強めていきました。その後は工場を借り、作業者を雇用し自ら工場運営を開始、さらには自社工場を建設するに到りました。その間、僅か5年というスピードですが、「海亀派」の中ではスローで、一気に自社工場を持たず小さく生んで大きく育てるスタイルは、日本的であるかもしれません。
自社工場を持ちしばらくした頃から、彼の向上心の勢いが減速したことを、私は感じ始めました。彼の企業は彼ひとりの求心力でもっていることは否めません。
しかし、それは杞憂に終わりました。と言うのは、彼自身、自分の管理能力の量的限界を心得ており、ある時点で、業容の拡大に歯止めを掛けたのでした。彼自身、「もう、新規顧客開拓はしない。それでも顧客からの紹介で、顧客数は増えてしまう」と公言していました。
我々既存顧客のバイヤーは、彼が自らの拡大志向に杭を打ってくれたことを、ある意味では歓迎しました。しかし、一方で十分に豊かになってしまった彼は、すべてにおいて保守的になっていきました。よく彼がかつての貧しかった頃の自分を語るときに言うことですが、「私は日本に行ってから、3年間は自動販売機でジュースを買ったことがなかった」(彼は日本で1年間日本語学校で日本語を学んだ後、すぐにエンジニアとして日本企業に就職しました。)当時は、喉の渇きを癒すためだけにお金は使えなかったのです。それが今では何台もクルマを保有し、両親にマンションを贈り、両親を海外旅行に送り出すほど豊かになってしまった彼は、「豊かさ」と引き換えに「向上心」を失ってしまったとしか思えないのです。
以前は品質についても常に向上を志していた彼が、「以前はこれでOKだったじゃないですか?なぜ、要求を厳しくするのですか?加工単価をアップしてくれなど欲張りは言わない。
しばしば彼は冗談とも本音とも取れることを言います。「Zhen(筆者)の会社で、この工場買ってくれないかなぁ。すべてを譲りますよ。私は一従業員として置いてもらえれば良い。安く、良いものを作ることだけを考える一技術者に戻りたい」
かつて、その向上心は、枯れることのない泉のように私には思えました。それは良く言えば「向上心」ですが、汚い言葉で言えば、「強欲、欲の塊」とさえ表現されるでしょう。しかし、私は泉から再び「向上心」と言う水が溢れ出ることを望みます。(執筆者:岩城真)
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