「審美主義」というのは、元はと言えば、英語の“aestheticism”の訳語だ。ところが、他に「唯美主義」、「耽美主義」もその訳語として使われることがある。
一般的な国語辞典や、やや専門的な事典を調べてみると、この三者は日本語としてほぼ入れ替え可能なことばとされている。ただ、Yahooのネット国語辞典(『大辞林』『大辞泉』)を今調べてみると、「審美主義」は項目としてはなく、「唯美主義」は「耽美主義」を見よ、と出てくる。『新明解国語辞典』(第五版)の中の用例でも、「審美主義」はないが、「耽美主義」と「唯美主義」は例示されている。もしかしたら、一般には、「審美主義」はこの三者の中で最も影が薄い日本語なのかもしれない。

 そこで、CiNiiの論文検索でこの三語が標題に用いられている日本語の論文を検索してみた。すると、結果は、

 「唯美主義」34件
 「審美主義」33件
 「耽美主義」14件

と出た。具体的に扱われている対象は、ワイルドやペイター等英語圏の作家、谷崎、荷風の他、ドイツ語圏やロシアの作家、音楽家等だ。用語によって扱われる対象にある程度の偏向があるのかもしれないが、あまりはっきりしない。ただ、こちらの状況によれば、「耽美主義」の使用例はむしろ少なく、「審美主義」は「唯美主義」とともによく用いられている。

 私は今「現代中国における審美主義」というテーマの研究プロジェクトを抱えているが、「審美主義」という用語を排他的に選定したわけではない。当然英語の“aestheticism”を意識していたし、「唯美主義」や「耽美主義」とも入れ替え可能なものと考えていた。どれを選定するにしても暫定的な目印以上のものではない(“aestheticism”も目印にすぎない)。
ただ、目印として、「審美主義」の都合のよさがないわけでもない。手元の電子辞書の『スーパー大辞林』の「耽美主義」(「唯美主義」はこれと同等視)の項にはこう記載されている。

 耽美主義〔aestheticism〕

 美を唯一最高の理想とし、美の実現を人生の至上の目的とする生活および芸術上の立場。一九世紀末、フランス・イギリスを中心に起こった。唯美主義。

このような「立場」は、私の関心の中に当然含まれるが、私の関心の範囲とはかなりずれる。特に語弊があるのは「美の実現を人生の至上の目的とする」「立場」という部分だ。用語を関心に近づかせるためには、あと、「美」の意味を拡張、構造化することが必要だが、それは周作人の美学に即して他の論文でデッサンだけはしておいた(「審美価値としての『苦』-周作人における『生活の芸術』」、『現代中国』第82号、日本現代中国学会、2008年)。それはさておき、以上のような意味から、「審美主義」は、一般に影が薄い分だけ、目印として都合がいいということになる。(執筆者:伊藤徳也 東京大学大学院准教授)

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