「士は己を・・・・・・」もいいが、もう一つ、「士別れて三日なれば、まさに刮目して相待つべし」というのもわるくない。
この句は『三国志』(読み物の『三国志演義』ではなく、歴史書の『三国志』)のうちの一つである『呉書』の「呂蒙伝」に引く注釈の中に出てくる。
士、すなわち立派な男子は常に研鑽を積み向上するものであるから、いつまでも昔のままだと思ってはいけないというのである。「三日」はもちろん文字どおりの時間ではなく、しばらくの間の意。「刮目」は、目をよくこすって大きく見開くこと。「刮目相待」そのままの形で現代中国語に残っているし(「刮目相看」とも)、「刮目して待つ」「刮目に値する」などの形で今日の日本語でも使われる。
上の魯粛と呂蒙のやりとりの中に出てくる「呉にいた頃の阿蒙」から生まれたことわざがもう一つある。すなわち「呉下の阿蒙」である。こちらはたいていの国語辞典にも出ているから、ご存じの方も多いと思う。呉の田舎で遊んでいた頃の蒙ちゃん。昔ながらで進歩のない人、学問のない人をいう。
「呉下の阿蒙」のままでいるのは感心しないが、刮目して待たれるのはいい。前回の「士は己を・・・・・・」の士にしろ、今回の「士別れて三日・・・・・・」の士にしろ、こう見てくると、「士」は理想の男子像の典型と言えるかもしれない。
あまりにもよく知られていて引用するのが気が引けるが、例の「風蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去って復た還らず」(風蕭蕭兮易水寒、壮士一去兮不復還)の歌を遺して死地に赴いた燕の荊軻も「士」の典型であった。
前回、友人の士郎君の紹介の引き合いに名前を出した尾崎士郎さんの『人生劇場』は私の好きな小説の一つだが、この小説の中にも「士」と呼ぶにふさわしい生き方をした人物が登場する。
この「士」、立派な男子の意から、男子一般の敬称に転じ、さらには機関士・運転士・気象予報士・・・・・・と、「一定の資格・役割をもった者」(『広辞苑』)にまで広がってきた。男女の区別なしに使われる。中国語には「女士」というのまである。「男まさり」でも「女の力士」でもない。女性に対する敬称である。
それにしても「弁護士」「栄養士」が「士」で、「看護師」「理容師」が「師」であるという、「士」と「師」の区別が私にはよくわからない。「専門の技術を職業とする者」(『広辞苑』)が「師」なのだそうだが・・・・・・。(執筆者:上野惠司)
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