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侵略戦争であったのか・無かったのかを議論する場合に、右翼的な人はドンドン歴史をさかのぼって議論する。間違っている。
たとえば江戸時代には、親の敵討ちが「正しい行為」だった。現在、行えば「殺人罪」、つまり犯罪だ。
だから、(南京事件があった)1937年当時に、国際政治と世界の流れとして、「新たに植民地を獲得しようとする戦争が認められていたのか?」、「侵略戦争は認められていたのか?」を、議論しなければならない。
当時の世界はすでに、ハーグ不戦条約(解説参照)のように「戦争を起こすのは悪である」というような流れに変化していた。
日本は、遅れて参入した帝国主義国家であり、地下資源と独占的市場を求めて対中戦争を起こし、植民地にしようとした。これが日中戦争だ。満州国だけでは不十分であり、中国北部を占領して、満州国のような傀儡(かいらい)政権を作ろうとした。
他方、1937年当時、他の“列強”、たとえば英国は、インドの植民地支配で苦労して、植民地支配としても「領土を侵略する方式」ではなく、「その国の市場を侵略する方式」に移りつつあった。
にも関わらず、日本は古い考えで「領土を侵略」しようとして、蒋介石と戦争を開始した。1937年7月7日の盧溝橋事件だ。日本は、米国からの石油や鉄鋼などの輸入が必要なので、事変と呼んだが、実際には戦争だった。
それを田母神氏のような現役の航空自衛隊トップが、「侵略戦争でなかった」と歴史を改竄(かいざん)する認識をするまでになった。
田母神氏は現在も、テレビにしばしば出演し、多くの講演を行い、著作も飛ぶように売れている。これは、日本社会に間違った歴史観が蔓延しているからだ。それだけ、今の日本には、田母神氏の同調者が多い。間違った歴史観が日本に浸透している証拠であり、日本にとって危険な兆候だ。
田母神氏は、「日本は中国と米国に騙された。だから、日本は悪くなかった。」と主張する。この田母神史観は、「被虐史観」であり、間違っている。
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◆解説◆
投稿原文で筆者は続きがあるとの考えを示したが、内容的にほぼ完結しているとみなせるので、掲載することにした。文中の「ハーグ不戦条約」は、おそらく「パリ不戦条約」の勘違いと思われる。
パリ不戦条約は1928年、米・英・独・仏・イタリア・日本など、当時の列強を中心に15カ国が調印した。国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、紛争は平和的方法で解決するとの方向性を打ち出した。ただし、多くの国は戦力による自衛権は保留するとの条件で批准した。同条約は、日本国憲法9条第1項のモデルになったとされるが、違反に対する制裁がないなどで、実効性には乏しいとされる。
1931年の満州事変を、日本は「自衛のため」と主張したが諸外国は納得せず、結果として日本は国際連盟からの脱退を宣告した。
いわゆる田母神論文の題名は「日本は侵略国家であったのか」。航空自衛隊“制服組”トップが政府見解とは異なる意見を公に発表したことと、内容についての賛否両論が出た。
田母神論文は、その主張の是非とは別に「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣」と論じる一方で、「もし日本が侵略国家であったらというのなら」との前提つきではあるが「よその国がやったから日本もやっていいことにはならないが、日本だけが侵略国家であったといわれる筋合いもない」などと、実質的に「侵略はしたが、日本だけが悪いわけではない」とするなど、論理上の乱れがある。また、証拠として挙げた資料に信ぴょう性が乏しいものがあるとの見方もある。
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