同陵墓の所在地は、洛陽市孟仁県宋荘郷三十里鋪村。
墓の中には人骨が散乱しており、50歳前後の男性のものと、40歳前後の女性のものと確認された。墓質内で見つかった銅製の印にあった「曹休」の文字から、葬られていた人物が特定できたという。
曹休の生年は不詳。西暦2世紀末から3世紀にかけて、魏の武将として活躍した。曹操の曽祖父にあたる曹節の血筋を引き、一族としては曹操の次の世代に属する。ただし、曹操の祖父の曹騰は宦官になり、夏侯家から養子(曹嵩)を迎えたので、曹操と曹休に血縁関係はない。
曹休は父親を早く亡くし、漢朝末の動乱期に挙兵した曹操のもとに参じた。曹操は曹休を高く評価し、かわいがった。曹休は、曹操、曹丕、曹叡と、魏の支配者3代に使え、蜀(蜀漢)や呉との戦いの多くで活躍した。
なお、曹休は日本で「曹操の甥(おい)」と紹介される場合もあるが、正確ではない。中国で曹休は曹操の「族子」と呼ばれるが、これは「一族内で、実子以外の1世代下の人間」を指す表現。「甥」のイメージが強いが、必ずしもそうとはかぎらない。曹休の父親は不明だが、曹操の兄弟ではない可能性が高い。(編集担当:如月隼人)
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