中国語版プロデューサーの蘇秀氏は自著『私のアテレコ人生』の中で、当時の盛況ぶりを振り返った。専門スタッフが乏しい上に、ストーリー中に派手さや華がないことから人気が出ないと思っていたところ、放送が始まると、その予想が大きく覆されるほどのブームになったという。
ドラマを見るために帰宅する人が続出して街から人が消えた、というエピソードのほかに、「娘たちは三四郎に嫁ぎたいと騒ぎ、小中学生も友を愛す一方でつらい修行に励み優れた技を身に付けた三四郎をお手本にした。小学生たちは教室の椅子を壊して、先生を悩ませた。吹き替えの声優は一躍スターになったし、病院に行くと医者や看護師がこぞって物語の結末を聞いてきた」など、当時の熱狂ぶりを明かした。
上海での人気ぶりをうけて北京でも放送された際、当時夜間停電を実施していた地域でもドラマのために1時間だけ電気を提供する措置がとられたことも紹介。「まさに空前の盛況だった」と振り返った。(編集担当:柳川俊之)
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