屈慧君さんは重慶潼南県の出身。幼い頃の思い出にも、端午節になると両親がちまきを作って祖先である屈原にささげていた光景がある。また、住んでいた集落には、ちまきを売って生計を立てている人がたくさんいた。
屈慧君さんの店には「屈氏粽子(屈氏ちまき)」の大きな文字が掲げられ「大きさだけでなく、まずは品質」、「手づくり」などの文字が添えられている。
◆解説◆
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屈原は戦国時代の楚の政治家、詩人。友好を求める秦国の申し出を謀略と見抜き楚王をいさめたが聞き入れられず、楚王は秦の虜(とりこ)になった。屈原は剛直な性格もわざわいして敵対者も多く、擁立された新王も屈原と対立する人物を重用。屈原は政界の中央から退けられた。結局、楚は秦に攻め込まれた5月5日、楚の都が陥落した日に屈原は汨羅江(べきらこう)に入水自殺した。
屈原を慕う村民が救出のために小船を繰り出したことが「ドラゴン・ボート(龍舟)」レースの起源になったとされる。また、ちまきを食べる習慣には「あの世に行った屈原に供えるため」、「魚が屈原の遺体を食べないようにするため」などの諸説がある。
屈原の詩人としての代表作「離騒」は、愛国精神の激烈な発露として、「憂国の士」に愛された。現在でも「愛国者」として高く評価されている。(編集担当:如月隼人)