中国でも、英国のサッチャー元首相の死去に大きな関心が寄せられている。中国にとってサッチャー元首相との最も大きなかかわりと言えば、香港の全面返還を求めるトウ小平氏にとっての交渉相手だった。
そのため、交渉を一段落させ人民大会堂を去ろうとするサッチャー首相が会談で転倒する「中国人にとっては極めて有名な」映像も、改めて公開された。しかし、ユーザーから「人が亡くなったばかりなのに、このような映像を出すとは」との反発が出た。

 中国(清国)はアヘン戦争講和のための南京条約(1842年)締結の結果、香港島を英国に割譲した。1860年のアロー号戦争講話のための北京条約では九龍半島の南端を割譲。さらに、1898年の香港領域拡大条約で香港・新界の99年の租借が決まった。太平洋戦争では日本が一時、香港を占領したが、終戦に伴い香港3地域は英国に返還された。

 中国にとって香港は、帝国主義により奪い取られた領土だった。中国の「最高実力者」だったトウ小平も1980年以降、香港の全面返還に執念を燃やした。条約により英国に課されていた義務は1997年の新界地区の返還だけだったが、トウ小平はサッチャー首相(当時)に対して武力行使もほのめかすなど、強い姿勢で交渉を続けた。

 問題の映像は1982年に北京市内の人民大会堂での交渉を終えた直後のサッチャー首相。建物外に出る階段を踏み外して転落する。

 多くの中国人は、トウ小平が強い姿勢を貫いて香港の全面返還を勝ち取ったことを高く評価している。
サッチャー首相の転倒についても、早い時期から「見下していたはずの中国の指導者であるトウ小平が、思わぬ強硬姿勢を見せたので、呆然としていたのだ」といった見方が広まった。いずれにしろ、中国人にとっては「快哉を叫びたくなる歴史的映像」だ。

 中国の大手ポータルサイト、新浪網は、サッチャー元首相死去の特集のひとつとして、「転倒映像」を掲載した。中国人にとって極めて有名な映像であり、掲載そのものはそれほど不思議でないとも言える。

 しかし、多くのネットユーザーは反発した。寄せられたコメントのうち、「支持(そう思う)」が最も多かった主張は「人が亡くなったばかりなのに、このような映像を出すとは、命を尊ぶ心に欠けている。サッチャーが転んだのは、自国のために最大の利益を得ようと、ぎりぎりまで頑張ったからだ。われわれと立場は異なるが、尊敬すべきだ」だった。541人が「支持」を表明した。

 次に多かったのは「この映像は本当だ。当時、鉄の女は大英帝国の武力を背景に香港を返還しないつもりだった。トウ小平が『中国人は貧しいだろうが、戦争になったら死を恐れないぞ』と言ったので、鉄の女は驚いたのだ」(支持=261人)とトウ小平を賛美し、映像の掲載に理解を示した。


 それ以外にもトウ小平を称えるコメントは多い。しかし、「サッチャー夫人はきちんとした政治家だ。中国人の伝統的美徳をもって、彼女を尊重しよう」、「どんな心情(での掲載)なのか? 人が死んで、こんな編集とは。道徳に欠ける」、「やれやれ、この国にしてこの国民」などと、他界したサッチャー元首相の名誉を尊重せよと主張したり、「転倒映像」の掲載は好ましくないとの考えを示す書き込みもかなり多い。

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◆解説◆
 中国にとって、香港は英国に、マカオ(澳門)はポルトガルに、台湾は日本という帝国主義勢力に「むしりとられた」領土でり、中国に「真の独立」をもたらしたことを政権掌握の根拠のひとつとする中国共産党としては「どうしても取り戻さねばならない国土」ということになる。

 トウ小平は「台湾との統一」については「自分が生きている間は不可能」と考えていたようだが、香港については「返還後、この足で歩いてみたい」と全面返還に執念を燃やしていた。

 英国との交渉では武力行使もほのめかす「捨て身の強硬主張」を伝え、英国側を大いに警戒させた後に「一国二制度」で「資本主義制度は維持」するとの妥協を示すなど、精力的に交渉術のかぎりを尽くしたという。100年近く続いた「香港問題」を解決するにあたり、鉄の女・サッチャーと不屈の男・トウ小平はまさに「好敵手」だった。

 トウ小平にとって、香港の全面返還は政治家人生としての締めくくりだったといえる。しかし、「祖国に戻ってきた香港を歩きたい」との最後の願いは叶うことがなかった。1997年2月19日死去。同年7月1日の香港返還まで、4カ月と12日だった。


 写真は「CNSPHOTO」提供。1984年12月撮影。トウ小平はこの時、サッチャー英首相に香港の「一国二制度」の構想を示したとされる。(編集担当:如月隼人)
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