台湾紙「中国時報」が28日付で、台湾当局が林氏の“帰国”を容認するよう求める論説を掲載したことで、同問題の関心が高まった。同論説は、林氏が2008年から12年まで世界銀行のチーフエコノミストを務め、中国大陸部と台湾を含めた中国経済全体を肯定的に評価するなど、傑出した業績があると表明。
林氏が台湾でいまだに「敵」として扱われていることについて、「国共内戦のゆがんだ犠牲者にされてしまっているのではないか」と疑問を示した。
台湾国防部は同日夜、「中国時報」の論説を「軍人の忠節心と武徳の価値をあいまいにするもの」と論評。林氏が1979年に金門島馬山を守備する中隊長であったにもかかわらず、対岸の大陸に泳いで逃亡したのは「前線における投降」と指摘し、「法的責任は法律で処理」、「反逆逃亡行為は責任を追及される」との立場を繰り返した。
林氏は現在もなお、国防部門による指名手配の対象であり、処理については「あいまいに済ます余地は絶対にない」という。
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◆解説◆
林毅夫氏は1952年生まれ。本名は林正義。台湾大学で学んだ。その後、陸軍士官学校に入学。
1979年2月、林氏は金門島防衛司令部の所属として、同島馬山を守備する中隊長に任命された。馬山は金門島の北東部にあり、大陸部とはわずか2キロメートルをへだてているだけだった。
林氏は同年5月16日夜、金門島から廈門(アモイ)まで泳いで渡り、中国人民解放軍に投降して亡命した。
その後、林氏は北京大学に入学して経済学を先行。その後、米国にも留学した。帰国後は国務院農村発展研究センター農村部副部長、北京大学中国経済研究センター主任、などを務め、2008年から12年までは世界銀行のチーフエコノミストを務めた。(写真は4月2日撮影。「CNSPHOTO」提供)(編集担当:如月隼人)