【華流】ブルース・リー没40年、死因は永遠に謎のままか!?
伝説のカンフースター・李小龍(ブルース・リー)の死去から、40年。香港文化博物館では命日にあたる7月20日よりブルース・リー展「武・芸・一生――李小龍」が開催されるなど、追悼ムードに包まれた。(写真は「CNSPHOTO」提供)<br><br>【関連写真】<br>・<a href="http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0627&f=entertainment_0627_005.shtml&pt=large" target="_blank">【華流】準備中の『イップ・マン3』、ドニー・イェンが出演拒否!</a>(2013/06/27)<br>・<a href="http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0627&f=national_0627_029.shtml&pt=large" target="_blank">ブルース・リー展 ゆかりの品500点集め、香港で7月20日から</a>(2013/06/27)<br>・<a href="http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0306&f=entertainment_0306_004.shtml&pt=large" target="_blank">【華流】世界が認める中国映画界のトップスター、ジャッキーに決定</a>(2013/03/06)<br>・<a href="http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0422&f=national_0422_128.shtml&pt=large" target="_blank">香港航空、護身用にブルース・リーのカンフーを導入</a>(2011/04/22)<br>・<a href="http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=1101&f=entertainment_1101_017.shtml&pt=large" target="_blank">ブルース・リーのただひとりの師匠、イップ・マンの人生を描く『イップ・マン 葉問』が上映</a>(2010/11/01)<br>"(サーチナ) 画像(1枚)
 伝説のカンフースター・李小龍ブルース・リー)の死去から、40年。香港文化博物館では命日にあたる7月20日よりブルース・リー展「武・芸・一生――李小龍」が開催されるなど、追悼ムードに包まれた。
(写真は「CNSPHOTO」提供)

 1973年7月20日、頭痛薬を飲んで横になったブルースは、そのまま帰らぬ人に。32歳という若きスターの急逝は衝撃的で、また死因が不可解で現在でも話題になるほどだ。中国メディアが40回目の命日に合わせ、検証記事を掲載した。

 中国の新聞「沈陽晩報」は、「ブルースが去って40年過ぎても死因は謎のまま」とし、「服用した鎮静剤がアレルギー反応を引き起こし死に到ったと判定されているが、真相についていまだに議論されている。死去のニュースをマスコミに発表したのは、映画会社ゴールデン・ハーベストの代表レイモンド・チョウ氏で、自分の家でブルースは亡くなり妻も同席していたと報告。ブルースの実兄も認めていたが、その後記者の調べによって、ブルースの最後の場所は女優・丁佩(ベティ・ティン)の自宅であることが判明した。当時ベティは外出中だったと主張し、ブルースに最後に会ったのは“数カ月前に、偶然道端で見かけただけ”と説明。嘘で固められた状況は不信感をあおり、真相は闇に包まれているとされた。

 そして2008年、映画関係者の杜惠東氏が「ブルースが亡くなった原因は、毎日飲んでいた薬やジュースのアレルギー反応ではないかと思う。アメリカ教育を受けてきた彼は、筋肉増強の薬やビタミンを摂り続けていた。また生の牛肉とバナナを入れた自家製ジュースも飲んでいた。日々そういった物を口にし、体はすでに悪くなっていたかもしれない」と証言。


 ブルース・リーを愛する人々がいる限り、その早すぎる死は謎として永遠に語り継がれていくのだろう。(編集担当:饒波貴子・黄珮君)
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