――倭は最初、プロになろうとする意識もあまりなかったと聞きます。どの時点をもって「結成」としているのですか。
小川:偶然のきっかけで出身の明日香村(奈良県)の神社の夏祭りで太鼓を叩くことになりました。1993年でした。その時をもって「結成」としています。最初の音が「ドン!」と鳴った時です。
当初は、ただ人前で演奏するだけで幸せだった。知らない土地に行って、その土地のものを食べることができて、楽しかった。
今は、もう若くはないと感じています。自分ができる間に、できるだけのことをします。それを見ていただきたいですね。
外国で演奏することが多いですからね。年間30万人ものお客さんに、演奏会場に足を運んでいただいています。倭の演奏で日本の和太鼓が評価されてしまう。その点については責任をますます強く感じるようになりました。
――日本と外国で、倭に対する見方、接し方に違いはありますか。
小川:そうですね。地元では、太鼓好きの兄ちゃん、姉ちゃんと思われているんでしょうね。何やっとるか分からんけど、なんか皆でいつも走っているぞと。
外国では、空港に到着した途端、カメラに取り囲まれることがありますね。初めての土地でもそうですし、2、3度やった土地なら、なおさらです。そんなことでも、やはり「和太鼓そのものの評価が決まってしまう」と思いますね。
――結成20周年の日本ツアーも、ゴールが近づいてきましたね。
小川:そうですね。外国での公演が多いものですから、最初は日本のお客さんの反応の違いを感じました。日本ツアーの皮切りは桜井市で、5回の公演でした。奈良県の地元ということで、倭のことをご存じの方が多かった。
ただ、今回のツアーで初めて行く土地も多い。そうすると、「これから、知ってもらわねば」と意欲が出てくる。昔のチャレンジ精神が、改めてよみがえるような感じです。
お客さんの印象に残るようにと、そのためにだけ演奏しているんじゃないんですよ。むしろ、こちらから自分らの可能性を探していくんです。あるいは、可能性を強く感じるようになったと言えばよいのかな。まずは、お客さんの反応を考えてみるとか、そういうこととは別の次元でチャレンジしていく。その結果として、やはりお客さんとの一体感ができあがる。そんなことがとても楽しいんですよ。
――なぜ、入場を無料にしたのですか。
小川:まあ、ボクが思いついたんですが、自分たちの価値を実際に見てから決めてほしいと思ったんです。
――経済的には大丈夫でしたか。
小川:カンパは「歓迎」ということで、お願いしています。これが案外、それなりにいただくことができる。高額紙幣を入れてくれる方もいらっしゃいます。
それから、お客さんが、なんと言えばいいんでしょうかね。やさしい、あるいは身構えていない。普通のコンサートだと、どうしても「入場料分は取り戻してやるぞ」と身構えてしまうじゃないですか。それがないから、倭もお客さんも、互いに肩の力が抜けている感じかな。そうして、双方で「お祭り」を盛り上げることになる。
――別の演奏家に聞いたのですが、入場無料の演奏会では、お客さんがちょっとでも面白くないと思えばすぐに帰ってしまう、怖い面があるとのことだったのですが。
小川:それはそうですよ。通りがかりの人が、「ちょっと、のぞいてみようか」と入って来られる場合もある。それはありがたいんですが、逆に帰るのも気軽ですからね。「最後まで聴いて、料金分を回収する」なんて必要はない。
だから、ちょっとでも気を抜いたら終わりです。気楽に演奏できるのと、気を抜くということは、まったく別の話です。
――新作のROJYOHという曲は、どんな曲なのですか。
小川:コンサートの最後の曲として演奏しています。20周年ということですからね。20年という道、過去と未来をみつめてみたいという思いを込めました。
――今後のスケジュールを教えてください。
小川:21日に明日香村で、野外の演奏を行います。花火も上がります。ツアーの千秋楽です。全員が「よくガンバッタ!」という、お祭りですね。10月から11月にかけては米国ツアーで30公演を行います。
――外国での公演が多い倭が、20周年の日本ツアーとして国内で全26公演も行ったことは、日本のファンにとっては「ビッグな1年」になりましたね。
小川:それが実は、来年も日本ツアーをやることになったんですよ。どうせなら、47都道府県全部で公演しようということになりまして。今年はおおむね都道府県の半分を回りました。来年は5-9月に、残りの半分を回ります。
今年と同じで、「入場料無料、カンパ歓迎」という方針です。倭のことをご存じなくて、ふらっと入っていらっしゃった方にも「帰れるものなら、帰ってください」と胸を張って言える舞台にしますよ。絶対に釘づけになってしまう演奏をします。(編集担当:鈴木秀明)