記事は、安重根記念館が開館してから1カ月に約1万人が同館をおとずれたと紹介。うち、韓国人は1200人以上、日本人は200人以上だったという。
安重根については「1879年生まれ」、「朝鮮半島近代史上の著名な独立運動家」、当時の世相については「1894年の日清戦争後、日本は侵略を加速し、朝鮮半島を飲み込もうとする歩みを速めていた」と紹介した。
安重根のその後については、「当初は教育を通じての愛国文化啓発運動をしたが、その後、筆を絶って中国東北地方とロシア極東部での反日義兵運動に身を投じた」、「1909年10月にハルビン駅で日本の枢密院議長、初代の韓国統監の伊藤博文を射殺した」と記述。
さらに安重根は伊藤博文暗殺直後に「現場で捕えられ、翌年3月に旅順監獄で日本の占領当局に秘密裏に処刑された」と記述した。
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現在のところ安重根の生涯について各国の研究者のほぼすべてが、事実と認めているのは、1894年の甲子農民戦争に政府側に従軍して農民軍と戦ったことや、17歳でキリスト教(カトリック)に改宗し死ぬまで信仰を貫いたこと、教育関係の仕事に従事したが、祖国についての危機感を募らせウラジオストクに亡命したことだ。韓国では「ウラジオストクで抗日運動に参加」と紹介されているが、論拠には乏しい。
伊藤博文を暗殺したのは1909年10月26日。安重根を逮捕したのは日本ではなくてロシアの官憲。その後、日本側に引き渡されて、旅順の日本の司法当局に送られた。
安重根は1910年2月になってから旅順の関東都督府地方法院(裁判所)で裁判を受けた。
さらに、「今を去る42年前、現日本皇帝(明治天皇を指す)の御父君に当らせられる御方(孝明天皇を指す)を伊藤さんが失いました。その事はみな韓国民が知っております」という、根拠を確認できない「単なる噂」も含まれていた。100歩譲って仮に孝明天皇の死因は暗殺であり、伊藤博文が関与していたとしても、安重根は韓国とは全く関係のないことを伊藤博文暗殺の理由に挙げていたことになる。
安重根には死刑判決が言い渡されたが、旅順監獄の看守や典獄(監獄責任者)は安重根の人物や志に感銘を受け、便宜を図ったり助命嘆願をしたりした。
ただし、安重根の処刑が、当時の死刑確定から執行までの一般的な期間より相当に早い伊藤博文の月命日の3月26日に、しかも伊藤が死亡した時刻に合わせた午前10時に行われたことは、当時の日本の上層部の安重根に対する「報復」の意思が表れたと解釈できる。
しかし、裁判という手続きを踏んでいる上に、当時の日本からも安重根を「汎アジア主義者の志士である」として高く評価する声が多く出たことを考え併せれば、中国新聞社の記事中にある「秘密裏に処刑」という表現は、事実とは異なると言わざるをえない。
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中国が安重根の評価で韓国と同調する理由としては、日清戦争、日露戦争を「日本による侵略の始まり」とみなしていることがある。
日清戦争については、日本が朝鮮半島に対する影響力の増強を望んだことが根本的な背景だった。しかし中国は当時、朝鮮を「属国」とみなしており、朝鮮についての日本との「自由競争」を認めなかったことが、戦争勃発に結びつく直接の原因だったと言える。清国は敗北の結果、下関条約で朝鮮が「独立国」であることを初めて認めた(同条約第1条:清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する)。
歴史に「もしも」は禁物というが、仮に日清戦争の結果による「中国の強制された方針転換」がなければ、朝鮮半島全域が現在のチベット自治区のように、中国領として残っていた可能性がある。
日露戦争については、1899年に勃発した義和団事件以降、各国軍が中国から撤兵した後もロシア軍のみが他国の批判を無視して中国東北部にとどまって占領を続け、さらに朝鮮半島に影響を強めようとしたことが、最大の背景だった。仮に日露戦争が発生しなかったか、日本が敗北した場合には、中国東北地方が現在もロシア領だった可能性がある。
朝鮮もロシアの強い影響を受け続け、現実の歴史と同様に共産党によるロシア革命が成功した場合には、朝鮮半島全域が現在の北朝鮮と同様の体制になっていた可能性がある。
なお、北朝鮮は安重根について「救国の意思」は認めているが、手段としての「暗殺」は評価していない。
伊藤博文は生前、日本の政界上層部にあって朝鮮あるいは韓国(大韓帝国)を最も評価・尊重した人物であり、韓国に対する強硬策や併合の動きに抵抗を続けた。また、日露戦争にも反対し、開戦を回避するためのロシアとの交渉に奔走した。そのため、伊藤博文は晩年になり、政界内でも孤立する傾向があった。銃撃された直後に、自分を撃った者が朝鮮人と聞かされると「馬鹿な奴だ」とつぶやいたとされる。
伊藤博文が暗殺されたに日本は大きな衝撃を受け、韓国に対する強硬論が優勢になった。結果として日本による韓国併合は時期を早めることになった。(編集担当:如月隼人)
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