筆者は復旦大学中国外交研究センター主任の任暁教授。任教授は日本が明治以降に行った戦争はすべて侵略戦争とみなすなど、日本側からの反論が予想できる主張もしたが、日中戦争中の南京事件の犠牲者数について「歴史学者の中にも異なる見方と推定がある」、慰安婦については「兵士を懸命に応援した」などと論じた。中国における“事実上のタブー”に拘泥されず、主張の客観性を保とうとしたとみられる。
中国では「日本人の集団主義」についてこのところ、「日本企業の製品がすばらしいのは、日本人の集団主義が大いに関係している」などと肯定的な評価が優勢だ。
任教授は、日本社会の集団主義は、「無責任体質」につながる場合があると指摘。例として1937年の南京事件について、日本では犠牲者数についての議論があるだけと主張。責任問題を含む事件の本質が論じられていないと批判した。
任教授は、日本軍が南京、武漢など中国の主要都市を陥落させるたびに、日本国民がこぞって歓喜して祝賀し、兵士が出征する際には「各地で熱狂的な祝賀会が開催された」と指摘。物資の供出でも日本国民は協力したと述べ、天皇から一般庶民まで、日本人すべてに戦争責任があったはずと論じた。
任教授は、「極端な例」として、日本軍の従軍慰安婦も、“仕事”が終わった後に相手の日本軍兵士を「しっかりお願いします」などと激励したとして、慰安婦も「戦争に参加していた」と主張した。
任教授は終戦後の日本人は当初、戦争について「(日本人)全員に責任がある」としていたが、集団主義の日本では個人に対する責任追及があいまいで、結果として「誰にも責任がない」という状況を導いたと主張した。
さらに福島第一原発の事故でも、「問責の対象になった人がまったくいない」と指摘。
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◆解説◆
任教授の指摘通り、日本人に特徴的に見られる集団主義には、危険な側面もある。と同時に、集団主義が団結やルール順守などのよい結果をもたらす場合もある。
社会に根付く特徴が長所にも短所にもなる現象は日本だけではない。たとえば中国人は家族や一族の結束が極めて強いとされる。この特徴は、「家族・一族が結束して、厳しい世の中に対処する」という強みをもたらすことになる。
一方で、例えば高い地位にある者が、自らは「清廉潔白」を貫こうとしても、一部の家族や親族が「うまい汁」を吸おうとすれば、拒絶が難しいという「腐敗体質」に結びつきやすい傾向をもたらす。
どの社会も「固有の性質」を持つとすれば、肝要なことは「固有の性質がもたらしてくれる長所は、大いに伸ばすよう努力する。同時に危険な側面があることも自覚し、欠点を出さないよう努力する」ということになるだろう。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF)
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