毎年11月に九州場所が開催される大相撲。今年の九州場所でも連日熱戦が繰り広げられている。
日本独特の文化が凝縮されたこのスポーツに興味を持つ外国人は多いが、相撲には「はじめ」の号令やゴングがなく、対戦者どうしの「間合い」で競技が始まる点も興味深い点の1つと言えるだろう。

 この「間合い」こそ、日本人の人間関係や社会全体の円滑さを支えている大事な要素なのだが、時間的、空間的、心理的な「間合い」が存在するゆえ、外国人にとっては理解することも実践することも難しい。中国メディア・今日頭条は23日に掲載した記事でも、日本人が持つ独特の「間合い」について論じている。

 記事は、日本においては「他人や所属する組織の立場、心情、互いの関係を十分に考慮し、互いの依存や尊重を大切にすることが、言動の基礎となっている」と説明。摩擦や衝突を避けるために、人付き合いにおいて一定の距離を保つことが重要視されており「これも、日本の『間合い』意識の根源になっている」とした。そして、この「間合い」があってこそ、日本人の人間関係は「水を得た魚」の如く円滑になると伝えた。

 また、日本には体を接触させる礼儀は少なく、互いに顔を合わせるときには「一歩下がって礼」が基本となっていることを紹介。また、身体的な接触のみならず視線上の接触にも気を遣い、話をするときに相手をじっと見つめる事は少ないとした。さらに、日本語の曖昧さゆえに相手の言葉遣いやボディランゲージに注意して相手の真意を理解する必要もあると紹介し、これらは全て、日本の「間合いの文化」の具体的な表れなのであるとした。

 一方で、中国人は日本人と違い「間合い」の意識を持っていないため、見知らぬどうしであっても肩を叩くなどして親愛の情を示したり、男性どうしが肩を組んで体を密着させたり光景を日常的に見かけると紹介。日本ではこのような行為を目にすることは極めて少ないとしている。

 相撲の立ち合いは本来、2人が仕切りを繰り返すことで徐々に間合いを詰め、息を合わせていくものだ。
ラジオ中継が始まった1928年以前は仕切りの時間制限がなく、2人の呼吸が合うまで仕切りを行っていた。行司はあくまで両者が呼吸を合わせるよう導く存在であり、号令係ではない。

 両者が徐々に間合いを詰めていき、互いの呼吸が合ったところでようやく立ち上がり、体と体をぶつけあう。その流れは、日本人の人付き合いにも通じるものがある。日本国内のありとあらゆる場所で、「仕切り」が繰り返されているのだ。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:(C)urfl/123RF)


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