中国最後の統一王朝である清王朝は最盛期には世界の国内総生産の30%以上を占めるほどの大国だった。清王朝以後の日本と中国は全く違った道を歩むことになったが、中国メディアの今日頭条はこのほど、日本が明治維新に成功して列強と呼ばれるほどまでに成長したのに対し、なぜ清王朝の取り組みは失敗に終わり、両国に差が生じたのかと問いかける記事を掲載した。


 記事は、清王朝が欧州の近代文明を導入し、国力増強に取り組んだ「洋務運動」を開始した当時、「日本では倒幕運動すら本格的に始まっていなかった」と伝え、つまり国力増強への取り組みを始めた時期は清王朝の方が日本より早かったと紹介。だが、日本は倒幕から明治維新を通じて、わずか30年ほどで工業革命を成し遂げ、一気に列強へとのし上がったと論じた。

 続けて、中国人としては洋務運動が失敗に終わり、明治維新が成功した理由について疑問を抱かざるを得ないと伝え、当時の日本が成功を収めることができたのは一体なぜなのかと問いかけた。

 これに対し、記事はまず1つ目の要因として「天皇」を中心とした中央集権体制を挙げ、明治維新に成功した日本は廃藩置県を通じて、権力を中央政府に集中させる体制を整えたと指摘。こうした徹底的な改革は非常に勇気のいることだとしながらも、日本は欧州の列強による侵略という脅威に対し、「天皇」という最高指導者のもとで徹底的な改革を推し進めたと指摘する一方で、清王朝は近代化を渇望しながらも本質的に保守的で、国家の制度まで改革することはできなかったと論じた。

 また、国の発展に必要な要素として「人材」を挙げ、日本は明治維新の前から識字率が高く、教育が普及していたと紹介。
また、「和算」と呼ばれる日本式の数学が発達し、1855年には佐賀藩が蒸気機関車の開発に成功していたことからも、当時の日本の教育レベルが非常に高く、優れた人材が多くいたことがわかるとしたほか、明治維新後の日本は欧州に留学生を派遣し、外国から専門家を招聘するなどの努力を重ねたと指摘した。

 一方、清王朝も欧州に留学生を送ったが、こうした留学生が帰国後に「反清」の急先鋒になったのは皮肉としか言いようがないと主張し、こうした要因が「当時の日本と清王朝の明暗を分けた」のではないかと考察した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)


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