アジアの東の端に位置する島国の日本は、明治維新後にいち早く列強入りを果たした国だ。それに対し、当時の大国だった清は最終的には滅亡に追い込まれることになったわけだが、何が命運を分けたのだろうか。
中国メディアの快資訊は11日、明治維新後に世界の列強の仲間入りを果たした日本と、滅亡した清との違いを分析する記事を掲載した。日本には明や清にはないものが5つあったと指摘し、「日本が列強になったのは偶然ではない」という。

 記事が挙げた1つ目の違いは「教育」だ。明や清では教育を受けられるのはごく一部に限られ、教育の目的も科挙を突破して官僚になることだったのとは違い、日本では寺小屋制度を全国で展開したと指摘。貧しい家庭の子どもを含め、誰でも無料で教育を受けることができたと称賛した。また、西洋から積極的に学ぶ姿勢と、知識のみならず協調性、規律性も教えたおかげで、国の工業発展の基礎を据えたと伝えている。

 2つ目は「民族主義」だ。中国の歴代王朝はいつも、威張り散らして財産を独占する支配層がおり、それらは人民の犠牲のうえに成り立ってきたと指摘する一方、日本は全国民が運命共同体となり「富む時は一緒、滅びる時も一緒」だったと振り返った。3つ目は「工業革命」だという。傲慢さと古い官僚体質に阻まれて工業革命の機会を逸した清とは対照的に、日本の考え方は先進的で、西洋から進んだ設備を導入したと伝えている。

 4つ目は「法整備だ」。日本は戦前にはすでにドイツとフランスから学び、世界に通用する法律のシステムを導入していたと称賛。
清にも法律はあったが特に支配層に対しては機能していなかったとした。5つ目は「軍事面」。日本よりもずっと規模の大きな国だった清が日本に負けたのは、日本が軍を英国式に切り替えたのに対し、清の軍は「自分勝手で貪欲」だったからだと分析している。

 この300年を振り返ると、国土の大きさや人口、時には国力も、明・清の時代の中国は日本を上回っていたことが分かる。それでも清は日本に敗れ、日本はアジアでいち早く列強入りを果たすことになった。この違いは、時代の流れとともに考え方を変えていく、身軽さや謙虚さにあったのかもしれない。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)


【関連記事】
美味しそうな鯉が泳いでいるのに「日本人は誰も捕って食わないのが不思議!」=中国
欧州の先進国が日本に「追いつこうとしても追いつけていない」理由=中国
なぜだ! ベトナムではなぜ日本ブランドがこんなにも支持されるのか=中国
読めない! 日本に数多く存在する「中国人が知らない漢字」=中国
国産品に信頼がないから? 「日本式」デザインで大人気、模倣も後を絶たず=中国
編集部おすすめ