記事ではいくつかの要因を挙げているが、まず1つ目に「運が良かった」ことがあると主張。日本のすぐ隣に、没落していたとはいえ巨大な経済体の清があったおかげで、列強諸国の注意がまず清に集中したと主張。このため、いわば「清が日本の盾」となり、日本は侵略されずに済んだとしている。
また、江戸末期には列強の開国要求に対し、「武士道精神をなんら発揮することなく開国に応じた」ことで国力を温存できたからだと主張。実際には、ペリーの黒船来航以降、幕府の対応に対して攘夷運動が盛んになっており、生麦事件やその後の薩英戦争、さらには下関戦争なども起きているが、記事はそのことには触れていない。
さらに、明治維新後に徹底した「西洋化」を進めたことも大きな要因だと分析。清の「洋務運動」の方が明治維新より早かったものの、洋務運動は封建制度を維持したうえで支配層を救うための運動だったのに対し、日本は西洋に倣って進んだ制度を導入したため成功したと説明した。このほか、「思想」という面でも清では根深い封建思想が改革を阻害したが、日本は思想の転換が早かったと分析。これは「日本は強者に学ぶ文化だから」だと分析している。
別の要因として「改革の広さと深さ」に違いがあったと指摘。清では支配層が改革の必要性を意識したに過ぎず、大多数の国民は「傍観者」に過ぎなかったという。
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