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日本代表・板倉滉を育てた幼少期の環境とは

サッカーに熱中する子供たちが夢見るプロの世界。その中でも、ひと握りの人間しかたどり着けない日本代表で活躍を続けるのが板倉滉だ。

彼はどのようにしてサッカーと出会い、育ってきたのか。本人と振り返る。

■野球少年だった幼少期の思い出

自分が手がける社会貢献活動のKo creation project。その小学生向けサッカーイベントで、ボールを追いかける子供たちを見ていると懐かしさを覚える。僕もかつてはサッカー選手を夢見るわんぱく少年のひとりだった。そもそも、サッカーとの出会いはいつだったのか、どんな幼少期を過ごしてきたのかを語ってみたい。

プロフィールに載っている、僕の出身は神奈川県。

確かに、生まれた場所だし、長く暮らしていたので間違いではない。でも「原点はどこか?」というと実は兵庫県な気がする。

神奈川県で生まれてから、物心がつく頃には、父の仕事の関係で兵庫県西宮市内の社宅に、両親と僕、妹の4人で住んでいた。社宅には子供も多く、近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんに交ざって遊んでいたのは覚えている。

飛び交う言葉は僕も含めてコテコテの関西弁。昔から活発で人懐っこい性格だったらしい。

子供たちの遊び場に時折現れては話しかけてくる、謎のおじさんとも仲良くしゃべっていたとか。さすがに、それは心配した母に怒られたけど(笑)。

幼少期の思い出は、なぜかどうでもいいようなことばかり覚えている。パッと浮かぶのは、社宅の敷地内に生えていたビワの木。みんなでよじ登って、実を採って食べていた。それから、日が暮れるまで遊び尽くして辺りが真っ暗になると、おびえる僕を近所のお兄ちゃんたちが送り届けてくれたこととか。

今ではサッカー選手をしているけど、幼少期で思い出すのはそんな些細なことばかり。だから、特別なことなんて何ひとつない普通の子供だった。もちろんほとんどの男の子が通る、『仮面ライダー』や戦隊ヒーローにもしっかりハマった。変身セットや武器のおもちゃで戦いごっこをしては、途中から本気のケンカが始まることもしばしば。

ただ、やっぱりスポーツをすることは一番楽しかった。初めてやったスポーツは意外なことに野球。

東京六大学の名門野球部に所属していた父とはよくキャッチボールをしていた。3歳の誕生日には、バットをもらって大喜びしていたんだとか。西宮という土地柄、甲子園での阪神戦はよく連れていってもらった。父はどうやら、僕を野球の道に進ませたかったらしい。

野球と並行して、スイミングスクールや体操教室にも。特にスイミングは、競泳選手の育成コースに入るぐらい本気で、小学5年生で川崎フロンターレのジュニアに入るまでずっと続けていた。

もし水泳にそのままのめり込んでいたら、今頃五輪を目指していたかもしれない(笑)。

通っていた幼稚園の教育も今思えばユニークだった。鉄棒や縄跳びといった運動に力を入れていて、うまくできるとキャラメルをくれた。そうやって、園児をやる気にさせるプログラムがある一方で、休み時間には園長先生が園内のギンナンを焼いて食べさせてくれる、ほのぼのとした雰囲気も。おかげで伸び伸びと幼少期を過ごせていた。

■サッカーとの出会いは兵庫県西宮市にて

サッカーと出会ったのは、小学校1年生のとき。

母の記憶によれば、学校の授業で行なわれたサッカー大会で活躍して、賞状をもらって帰ってきたという。よっぽど気をよくしたのか、「サッカーをやりたい」と言い始めたらしい。

その後、サッカー漬けの生活になった僕を見て、野球ファンの父はちょっと寂しかったのだとか(笑)。それでも、父はサッカーにも付き合ってくれた。よく覚えているのは、キック力。素人とはいえ、遠くまで蹴れる大人のパワーは、幼いながらにすごいと感じた。

サッカー観戦にもよく連れていってくれた。人生で初めてJリーグを見たのは、ヴィッセル神戸のホームゲーム。父は無理に野球を押しつけることもなく、自分の好きなことはなんでもやらせてくれたし、何も言わずにとことん付き合ってくれた。

そうして、サッカーにのめり込んだ僕は、通っていた小学校の高木SCというクラブに入った。背番号は10番。上級生のお下がりをもらったらたまたま(笑)。その頃といったら、ポジションも何もなく、ひたすらボールを追いかけるおだんごのひとりだったけど、サッカーが面白くて仕方がなかったのははっきり覚えている。

1年弱がたち、小学2年生になったところで、神奈川県へ引っ越すことに。西宮を離れる日、一緒に遊んできた友達への挨拶では大泣きだった。社宅や幼稚園、小学校の人はみんな温かかった。母は今でも幼稚園の先生や社宅で仲が良かった人たちと連絡を取っているそうだ。

僕がW杯に出たことも、ドイツでのプレーもちゃんと見てくれているとのこと。こうして改めて振り返ると、明るく、楽しく生きるという僕のベースは西宮での生活で培われたような気もする。本当にありがたい限りだ。

そして何より、スポーツを教えてくれた父にも感謝したい。本当は野球をやらせたかったのに、サッカーにも付き合ってくれた。さらに、野球をやっているときも、サッカーをやっているときも叱られることは一度もなかった。

まったくスパルタ式ではなかったのだ。板倉家は何事も自由で、好きなことを楽しむスタイル。熱心な教育は否定しないけれど、基本は楽しく。今でもそれが僕のモットーだ。

サッカー日本代表 板倉滉の「やるよ、俺は!」 第6回 日本代表・板倉滉を育てた幼少期の環境とは

板倉滉プロフィール

●板倉滉(Ko ITAKURA) 
1997年1月27日生まれ、神奈川県出身。日本代表CB。川崎Fでプロ入り、19年に1シーズン在籍したベガルタ仙台からイングランド1部マンチェスターCへ移籍。その後、オランダ1部フローニンゲン、ドイツ2部シャルケへと移り、現在はドイツ1部のボルシアMGに在籍。昨年のカタールW杯ではベスト16入りの立役者となった。

構成・文/高橋史門 撮影/山上徳幸 写真/アフロ