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「彗星JAPAN」ことハンドボール男子日本代表の吉田守一

やったぜ! 長らくアジアの壁を越えられなかったハンドボール男子日本代表「彗星JAPAN」が急速進化。格上とされる韓国や中東勢を次々と倒し、36年ぶりに自力で五輪出場権を獲得した。

原動力となったのは新世代の海外組たち。そのひとり、吉田守一(フランス・ダンケルク)に話を聞いた。

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■「格下扱い」の日本を海外組はどう変えた?

10月にカタールで行なわれたパリ五輪アジア予選で優勝し、優勝国のみに与えられる五輪出場権を手にした「彗星JAPAN」ことハンドボール男子日本代表。東京五輪には開催国枠で出場しているものの、予選を勝ち抜いての五輪出場は実に36年ぶりだ。

今予選ではバーレーン、イラン、クウェート、カザフスタンと同居した予選リーグを4連勝で首位通過すると、準決勝では過去3勝23敗2分けと大きく負け越していた宿敵・韓国に34-23と快勝。決勝では約1ヵ月前のアジア大会(中国)の準決勝で敗れたバーレーンから予選リーグに続いての勝利を飾った。

2017年から指揮を執るアイスランド人のダグル・シグルドソン監督は、勝因のひとつにアジア大会には不参加だった主力の海外組と国内組(15人)の融合を挙げた。

その海外組のひとりがピボット(PV)の吉田守一(22歳、フランス・ダンケルク)である。

身長190㎝、体重108㎏の屈強な体が武器の吉田は、中央でポスト役をこなすだけでなく、大会中は試合のたびに、昨季日本人選手として初めて世界最高峰のEHFチャンピオンズリーグ(以下、CL)に出場し、今予選の決勝のバーレーン戦でも最多10点を挙げたセンターバック(CB)の安平光佑(23歳、北マケドニア・ヴァルダル)と共に選手ミーティングを実施。

国内組、海外組が意見を徹底的にすり合わせたことが、韓国や中東勢を上回る結果につながったといわれている。

――苦戦も予想された中、五輪出場を決めた今の心境は?

吉田「ハンドボールをメジャーにするために五輪出場は絶対条件だったので、ホッとしています。東京五輪は出場できましたが、やっぱり開催国枠と自力で出るのは価値が違いますから。決勝でバーレーンに勝った後はSNSでもたくさんのメッセージが届き、うれしかったです。

ただ、僕はシーズン中の所属クラブを抜けて予選に参加させてもらったので、最低限のミッションを達成しただけという思いも強いです」

――優勝を目標にしつつも、それを本当に達成できると信じ切れていなかった選手も多かったようですが......。

吉田「予選リーグの前にスポーツベッティングサイトのオッズを見たら、バーレーンの1.3倍に対し、日本は4倍とかでしたからね。日本が格下とみられていたのは確か。だから、全試合カップファイナルのつもりで臨みました。

ただ、今回はいい監督に、いい選手、すべてのピースがそろったので、僕自身はそこまで力の差を感じずに戦えました」

――出場決定後の記者会見では「MVPは僕です!」との発言も飛び出しました。

吉田「あれはネタです(笑)。

MVPは間違いなく安平ですよ。攻撃のムーブひとつとっても、めちゃくちゃうまい。シュート力があったり、フェイントがキレる選手はこれまでもいましたが、安平はハンドボール1Qが高い。

攻撃は彼がいないと始まらなかったし、任せておけばゲームをコントロールしてくれるので、100%信頼していました」

――大会期間中は試合のたびに、その安平選手と吉田選手を中心にミーティングが行なわれていたそうですね。

吉田「ダグル(・シグルドソン監督)の戦術って、基本的なことを全力でやるみたいなイメージなんです。でも、それだと攻撃がシンプルすぎて......。

なので、もう少し戦術の幅を広げたいと思い、僕と安平で普段それぞれのクラブで使っている戦術を、チームに共有させてもらいました。

攻撃は安平、守備は僕が中心。『どこでどうボールを動かし、相手の守備を崩していくのか。ボールを持つ相手によって守備はどう動き、GKはどう守るか』ってことです。結局、ハンドボールでは機転を利かすことも大事ですが、それ以上に攻守に戦術をいかに落とし込めるかが重要ですから」

――主将の東江雄斗選手(30歳、ジークスター東京)も「守り勝った試合が複数あった」と言っていたとおり、日本の守備は激しかった。

吉田「これまでの日本代表は、点は取れるけど守備に課題がありました。

そこで(国内組には)アグレッシブにゴリゴリ強引に来る相手に対し、どう密集して守るかってことを海外でプレーしている経験から話をさせてもらいました。決勝のバーレーン戦は、みんな頑張ってくれてほぼパーフェクトだったと思います」

――吉田選手や安平選手はチームでは若手。先輩や監督はすぐに提案を受け入れてくれたのですか?

吉田「厳しい監督なら『俺の言ったとおりにプレーしろ!』と怒られた可能性はあります。ただ、ダグルはオープンというか、自主的にプレーすることを求めていましたし、選手自ら考えてプレーするのを期待していた部分もあったんじゃないですかね。直接聞いたことはないですけど(笑)」

ハンドボールといえば、かつて08年北京五輪予選の際に、いわゆる「中東の笛」――アジアハンドボール連盟の理事の過半数を中東出身者が務めていたため、あからさまに中東諸国に有利な判定が相次いだことがあった。

今回の予選も開催地がカタールだったため、日本のハンドボール関係者の中にはレフェリングを心配する声もあった。

――「中東の笛」に対する心配はなかったですか。

吉田「大会前は不安でした。ただ、ヨーロッパでも評価の高いドイツ人の審判グループが来ていたので、今回は大丈夫かなって。決勝も、そのドイツ人グループが担当していたので問題はなかった。

まあ、決勝の相手が(準決勝でバーレーンに負けた)開催国のカタールだったらどうなっていたかわからなかったかもしれないですけど(苦笑)」

■「五輪で結果を出して評価を変えたい」

吉田は小学生時代に空手をやり、中学ではバスケ部に所属していた。だが、那賀高校入学とともにハンドボールを始めると、わずか4年で日本代表入り。筑波大学では約1年プレーしただけで、その後はポーランドのタルヌフを経て、今季からフランス1部のダンケルクに所属する。

――空手の全国大会で優勝したこともあるそうですね。

吉田「実家にトロフィーがたくさんあります。ただ、父親にやらされていただけで僕は嫌々出ていたというか。だから、どんな大会に出ていたかはよく覚えていないんです」

――吉田選手の体格を考えるとバスケでも十分通用したように思えますが、なぜハンドボールに転向したのですか。

吉田「センターでのポストプレーとか片足を軸に回転するピボットプレーは得意だったんですが、ドリブルのテクニックはないし、シュートもヘタで(苦笑)。

それにバスケで上を目指すのなら身長が2mくらいないと戦えない。どうせやるなら勝ちたいし、ハンドボール部には中学時代に全国大会に出ている友達も何人かいたので、そっちのほうが目立てるかなって」

ハンドボール男子日本代表の若き〝柱〟吉田守一「五輪に出る選手はたくさんいるので、勝たないと目立たない。メダルを狙う」

――現在プレーするフランスは東京五輪で金メダルを、今年の世界選手権で銀メダルを獲得した強豪国。リーグのレベルも欧州トップレベルといわれています。しかも、吉田選手のポジションは最もボディコンタクトの激しいPV。

吉田「やり合うのは好きなんで(笑)。ただ、ヨーロッパには僕より体の大きい選手がたくさんいますし、単純なフィジカル勝負で勝つのは難しい。ポジション取りやブロックひとつの方法であっても、工夫しながらやっています」

――では、最後にパリ五輪に向けた抱負を。

吉田「五輪に出る選手はたくさんいるので、勝たないと目立たない。(東京五輪では1次リーグ敗退だったが)ベスト8進出はマスト。メダルを狙いたいです」

――メダルを取れば、ハンドボールが一気にメジャーになる可能性もあります。

吉田「メダルを取って、『しゃべくり007』(日本テレビ系)とかに呼ばれたらうれしいですけどね(笑)。

個人的にはサッカーのUEFAチャンピオンズリーグ同様に、ハンドボールにもCLがあるので、そこで優勝するのが夢。そのためにはクラブでのステップアップも必要ですし、パリ五輪で結果を出して評価を変えたいです。

ビッグクラブに行けば、お金も稼げるし、やっぱりベンツとかいい車に乗りたいじゃないですか。とにかく勝つことだけにフォーカスしたいと思います」

●吉田守一(よしだ・しゅいち) 
2001年生まれ、和歌山県出身。那賀高校入学後にハンドボールを始め、筑波大学1年時にアジア選手権で日本代表デビュー。実業団を経ずに、20年2月よりポーランドリーグのタルヌフに加入。21年に東京五輪出場。現在はフランスリーグのダンケルクに所属。ポジションはピボット(PV)。190㎝、108㎏。

取材・文・撮影/栗原正夫 写真提供/吉田守一