オジー・オズボーンはバンド「ブラック・サバス」で1970年にデビュー。今年7月5日に76歳で最後のライブを実現し、17日後の同22日に死去した
あらゆるメディアから日々、洪水のように流れてくる経済関連ニュース。
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オジー・オズボーンは永遠のバックステージへと消えた。ヘビーメタルの創始者だ。オジーのバンド、ブラック・サバスのラストコンサートがイギリスのバーミンガムで数週間前に行われたばかりだったのに。
ひとは奇跡的な音楽とどうやって出会うのか。もちろん奇跡的に、だ。私は13歳でヘビーメタルに出会い、レンタルCD店で多くのバンドを聴いた。それだけでは飽き足らず、毎週のようにライブハウスに行ってあらゆるラウドミュージックを聴くようになった。
30年以上その習慣を続けている。その過程でオジーを知った。
ヒップホップは社会からドロップアウトした人が成り上がる音楽だから、成功したあとには金持ち自慢を躊躇しない。しかしメタルは、オジーがそうであるように、中産階級の落ちぶれが社会への逆襲のために始める音楽だ。
オジーはその意味で、生肉を撒き散らしたり、尻を露出したりした。有名な音楽フェス「オズフェスト」も、オジーの音楽が古いと揶揄されたことへの反逆から始まっている。
ただし、メタルミュージシャンはスターになると逆襲が終わってしまう。成功した自身が桎梏となり鬱になる。実際、オジーはアルコールとドラッグへの依存に悩まされた。
時を同じくして、日本のロック評論家として有名な渋谷陽一さんも鬼籍に入った。
雑誌『rockin'on』『ROCKIN'ON JAPAN』を創刊し、レコード会社からの情報で誌面を埋めるのではなく、ファンの知りたい情報を中心に報じる音楽文化をつくった功績はあまりに大きい。
なお、渋谷さんはオジーのブラック・サバスを評価していた。サバスは先進的であり楽曲を様式化しない、と。ロックは革新性をもつべきだとしたその態度は新鮮だった。
私が大好きな忌野清志郎さんが死んだ2009年。渋谷さんが清志郎さんの『ぼくの好きな先生』を評して「真に自由な曲」と断言したのには驚いた(ちなみに渋谷さんと清志郎さんは同い年だ)。
ロックってのは体制や教師に対抗するべきもんじゃないのか? いや違う、そんなイデオロギーから解放されるのがいい、と渋谷さんはいう。そして大衆化と音楽性を両立している音楽家として清志郎さんを挙げた。
え!と私は思った。渋谷さんといえば「産業ロック」=売れるための音楽を批判していたではないか。
しかし渋谷さんは評論家であると同時に会社の代表であり、ジャーナリストでもあった。単純なはずはない。
オジーはリアリティショー『The Osbournes』で愛すべきお父さんを演じたあとに、最高のヘビーチューンを発表した。芸術的創造、商業的成功、反体制を統合した。売れつつ、そして挑戦ができる。これをオジーと渋谷さんが残した最大のメッセージと私は受け止める。二人のCrazy Trainは冥途にいたっている。
写真/TASS/アフロ