漫画家の猿渡哲也氏と脚本家・劇作家・演出家の倉本 聰氏
漢を描き続ける猿渡哲也が 〝永遠の兄貴たち〟を直撃!! ドラマ『北の国から』や映画『駅 STATION』など、数々の名作を生み出してきた脚本家、倉本 聰。昭和100年、戦後80年という節目の今年、何を想い、そして今後、何を作ろうとしているのか――。
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■最強の柔道家の父と野性的な猟師が師匠
倉本 猿渡さんは、ご本名?
猿渡 はい。そうです。
倉本 どこの土地のお名前なんですか?
猿渡 僕、もともとは九州出身なんです。地元には猿渡姓が多かったんですが、小2のときに兵庫県へ引っ越した際、クラスで「そんな名字あったんや!」と、イジられまして。そこで、ああ珍しい名字なんだなと。
倉本 珍しいですよね。なんか渡 哲也みたいな感じだし。
猿渡 倉本さんも長くお付き合いされた渡さん! 確かによく言われます(笑)。渡さんをまねたペンネームなのかと。......名前の話が出たので、ついでに告白しますと、僕の娘が〝いつか〟といいまして。倉本さんが書かれたドラマの主人公の名前をいただきました。
倉本 ああ、(桃井)かおり主演のドラマ『祭が終ったとき』(1979年、テレビ朝日)ね。
猿渡 はい。〝いつか幸せになるように〟という意味が込められているのがすてきだなと。東京の下町を舞台に、桃井さん演じる少女歌劇団研究生いつかと周りの人々の物語、本当に良かったです。おかげさまで娘にも子供ができまして幸せにやっております。
倉本 そうでしたか、それはけっこうですな。
猿渡 のっけから家族の話で恐縮です。倉本さんのご家族のお話もぜひ。自伝『破れ星、流れた』と『破れ星、燃えた』(共に幻冬舎)を読ませていただきましたが、めちゃくちゃ面白かったです。まず、印象的なのは、お父さまの山谷太郎さんでした。こういう親父いいなぁと思いました。
倉本 高2のときに親父は死んじゃったんですが、その頃はあまり気がつかなかったんですよね、親父の良さに。その後、おふくろが病気になってしまって、ずっと看病することになり、それが中心の生活になったので。
そのときの経験を後に、ドラマ『前略おふくろ様』(75~76年、日本テレビ)で書いたんですが、当時はマザコンだと批評も受けました(苦笑)。
親父は相当な借金を残して死んだんだけど、僕が30くらいになったとき、ふと気がついたんです。親父が遺してくれたものはものすごく大きかったんじゃないかって。
猿渡 惹かれたのはケンカの強さです。柔道の名手で腕試しとばかりに外ではケンカざんまい。
倉本 大正時代、親父は岡山の旧制第六高校の柔道部にいたんです。当時の高専柔道(寝技中心の特殊柔道として今も名高い)においては名門校だったから、相当強かったらしい。小柄だったけど〝寝技の山谷〟として鳴らしていたそうです。耳なんてキクラゲみたいな形をしてましたから。
猿渡 寝技を武器とするレスリングや柔道の選手は耳の軟骨とかが潰れますからね。僕も格闘技漫画を長らく描いてきたのでよくわかります。
倉本 石川県の旧制四高も名門校でしたが、作家の井上 靖さんが柔道部にいらして。

「北海道に根差して、傑作を生んできた倉本さんのスタンスに脱帽です」(猿渡)
猿渡 戦時中の44年、9歳だった倉本さんが学童集団疎開で山形県の上山へ送られて、その年の11月末に面会に来られたお父さまが帰りの汽車で起こした〝事件〟も強烈でした。
倉本 若い将校の顔面を2、3発張り飛ばしたという。だいぶ後でおふくろから聞いたんですけどね。
猿渡 列車のデッキも満員、しかも吹雪で吹きっさらし。赤ん坊を抱いた母親が必死でわが子を雪から守るような状況で。
中に入れてくれって人々は懇願するけど、将校が中から顔を出して「満員だ!」と、扉を閉めかけた瞬間、お父さまが体を突っ込み「おまえ、それでも国を守る軍人か!」と首をつかんで張り飛ばす。まさに正義漢ですよね。
倉本 それと、終戦直後アメリカの進駐軍が入ってきた頃、銀座の数寄屋橋で事件が起こったんですよ。酒に酔ったふたりの大柄のGIが日本人女性に絡んでね。
そこに小柄な日本人の中年男がすっと入ってきて、あっという間にふたりを橋の上から投げ落としちゃった。
僕、それをやったのは親父だったんじゃないかって思ってね、おふくろにそっと聞いたんです。そしたら翌朝、親父からの書き置きが勉強机の上に置いてあった。「買いかぶってくれて、ありがとう」って(笑)。でもね、そういうことをやりそうな男でした。
猿渡 家の中でも相当怖かったんじゃないですか? すぐに鉄拳が飛んでくるとか。
倉本 いや、家の中ではそんなことは一度もなかったです。
猿渡 カッコいいですね。柔道家にして敬虔なクリスチャン、実の父から若くして事業を継ぎ、日新医学社の社長になるも、最後はすべてを失うという......。そんなお父さまを後に倉本さんが脚本を書く上でキャラクターに生かすことはありましたか。
倉本 それはありましたね。
猿渡 もうひとり、倉本さんの自伝に登場する〝ヒッちゃん〟もまたインパクトありました。彼は猟師で、後に倉本さんがドラマ『北の国から』(81~2002年、フジテレビ)を描くときに草太(演・岩城滉一)のモデルにしたそうですね。
倉本 うん、草太兄ちゃんを描くときはどっか頭にありましたね。僕たち家族が45年3月に親父の故郷である岡山の金光町(現・浅口市)に縁故疎開した際、ヒッちゃんと出会ったんですが、今でいうと高校生ぐらいかな。
まだ10代なのに、毎日旧式の村田銃をかついで山に入っては、タヌキとかを2、3匹仕留めて、腰にぶら下げて帰ってきてましたね。
猿渡 ワイルドですね。
倉本 ヒッちゃんからはいろんなことを教わりましたね。渓流に入って、フナを足の親指と人さし指で挟む、あるいは石を落として気絶させて獲るやり方だとか。ウナギの捕まえ方とかね。無口だけどとにかく腕っぷしが強かったので、恐れられていました。
猿渡 町の不良の間では、ヒッちゃんの名前を聞くだけで震え上がったそうですね。
倉本 そうです。
ある日、十数人で僕らの学校の校庭にやって来て、車座で酒盛りを始めちゃってね。女性教師が注意しようとしたら、抱きついたりしてからかう。そこで、教頭が木刀を手にして怒鳴り込むんだけど、連中は平気なんですよ。
どうにもならないところにヒッちゃんがスッと現れて、あっという間にカタをつけちゃいました。カッコよかったですよ。立ち姿だけで(高倉)健さんのようでした。
■盟友・高倉 健とは現場でまさかの......
猿渡 倉本さんは、高倉 健さんとは公私にわたって長いお付き合いをされていたそうですね。
僕は倉本さん脚本、健さん主演の映画『冬の華』(78年、東映)、『駅 STATION』(81年、東宝)が大好きなんです。そもそもの出会いは大原麗子さんからのご紹介だったそうで。
倉本 そうです。当時、僕は富良野に来たばかりで粗末な家に住んでいたんですけど、健さんが「行っていいですか?」と。
で、訪ねてきてくれて、夜ずっと暖炉の前でふたりで映画の話をしたんです。それで出てきたのが『冬の華』の企画。健さんが乗ってくれましてね。とにかく、健さんは人に物をプレゼントするのが好きだったですよ。ジャンパーだの、時計だのって。
猿渡 太っ腹ですね。腕時計もロレックスだったそうで。
倉本 そう、こちらからは何をお返しすればよいか、いつも悩みましたけどね。2月16日が彼の誕生日なんですが、よし!と思い立って、ホン(脚本)を1本書き上げ、300枚ほどの出来たての原稿をリボンで結んで誕生祝いの機会に差し上げたんです。それが『駅 STATION』でした。
猿渡 すてきな話ですね。健さんは意外なプレゼントにさぞ驚かれたんじゃないですか?
倉本 健さんは本を手にしたときに座り直して、正座したまま「すぐ読みます」と。翌朝には「やらせていただきます」と連絡をもらいました。
後日、健さんが「倉本さん、映画会社とはどういう契約をされていますか?」と聞いてきて。「いや、別に普通です」と答えたら、「日本の俳優では、たぶん僕だけがプロフィット契約なんです」と。
要は、基本のギャラ以外に興行収入の何%かをもらうということですね。「アメリカではそれが普通だし、ぜひそうなさってください。僕が全部交渉しますから」って。それで、僕もそういう契約にしてもらったんです。
猿渡 そんないきさつがあったわけですか。でも、撮影現場では健さんとお互いに譲らない場面もあったそうですね。
健さん演じる刑事の英次が居酒屋の女店主・桐子(倍賞千恵子)と恋仲になる。でも桐子は、英次の先輩(大滝秀治)を射殺し指名手配中である恋人(室田日出男)をひそかにかくまっていた。英次は彼女の部屋でその男を射殺。
後日、英次は桐子の店の前を通ると、ちょっとためらうが、店に入る。英次に対する怒りで口を利かない桐子。しばらくすると、英次は勘定して店を出る......。健さんは「店に入れません」とかたくなだったそうですね。
倉本 あれは参りましたね(笑)。説得するのに3日ぐらいかかりました。とにかく「入れません」と。「いや、それは高倉 健として入れないんでしょう。英次という男は情けないやつなんです。僕なんです」と説得するんですが、1時間ほどの沈黙があった後「いや、入れません」と。
再び説得するも、そこからまた1時間黙った後に「やっぱり入れません」と。これが延々と続きました(笑)。
猿渡 頑固ですね(笑)。
倉本 健さんとは思い出がたくさんありますね。
■『冬の華』の原点は、勝新と伝説的やくざ
猿渡 『冬の華』は従来のやくざ映画とは違って、親分が絵画のコレクターだったり、チャイコフスキーの音楽がBGMに使われたり、ちょっと毛色が違いましたよね。もとのアイデアには勝新太郎さんが絡んでいたそうですが。
倉本 そう。もともとは勝っちゃんと京都の祇園でふたりで飲んでいるときに、ふいに相談を受けたんです。神戸のほうにやくざの大幹部がいらして、自伝を書きたがっていると。でも、ご本人は書けないから、くらもっちゃんが書いてくれないかって。
僕はやくざと会うなんて嫌だと断ったんですが、「わしの兄弟分なんや。面白い人だし、頼む」と3時間くらいかけて口説かれて。「じゃあ会うだけだよ」と折れたところ、すぐさま勝っちゃんが自らリンカーン・コンチネンタルを運転して神戸まで連れていかれました。
猿渡 破天荒ですね(笑)。
倉本 三ノ宮駅前に着いたら、黒ずくめの服装の男たちがズラーッと並んでいましてね。怖かったんだけど、彼らは話がうまくて話術も巧みで。とにかくブラックユーモアの塊だったんですよ。
例えば、クラブからクラブに移動する際、エレベーターでたまたまキレイでグラマーな新人さんが一緒に乗り合わせたんだけど、みんなで胸元をのぞき込んで。「男いてんのか?」と聞いて、その女性が「いえ、いてません」と答えると、すぐさまひとりがおっぱいをつかむわけですよ。
彼女は「キャッ!」と悲鳴を上げる。でも、彼はやめない。そのままゆっくり揉みながら、「辛抱やぁ。何事も辛抱せなあかん」って。僕、思わず噴き出しちゃいましたよ。かわいそうだとは思ったけども。
猿渡 独特のセンスですね。でも、ウイスキーと見せかけてオロナミンCをこっそり飲む幹部や自分の子が有名私立小学校に受かったと喜ぶ幹部、絵画を収集する親分など、すべて本編に反映させていますよね。
倉本 はい。完成後に太秦の東映京都撮影所で神戸の親分衆に見せることになったんですけど、皆大喜びでしたね。「これぞやくざや!」って。
■大切なことはすべて〝すすきの大学〟で
猿渡 昨年は、長年の構想を映画化した『海の沈黙』が公開、倉本さんの創作意欲には脱帽ですが、どうしてもお聞きしたいことがあります。『北の国から2002遺言』の放送から23年がたちますが、続編についてはいかがですか?
倉本 続編はやりたかったんです。だけど、フジテレビとケンカしましてね(苦笑)。
猿渡 フジ側としては、スタッフの高齢化に伴い、続編はご勘弁という感じですか?
倉本 ええ。でもね、スタッフを代えればいいわけですよ。確かに多少の変化はあります。カメラマンの竹越(由幸)さんがいなくなっちゃったり、照明の方が亡くなったり。でも若いスタッフがこのドラマの精神を受け継いで勉強すれば作れるはずなんですよ。モデルがちゃんとあるんだから。
それともうひとつは、どんどんお金をかけるようになっちゃったのがよくない。1本何億円もの制作費でしょ? 僕はものを作るのにお金をかけたくないんですよ。『北の国から』は、ゼロで金がないところから始まる物語なんだから。なんでも金に逃げるのが、一番腹が立ったんです。
猿渡 もし、この先、「倉本先生、ぜひ『北の国から』の続編を書いてください、作らせてください」とオファーが来たら、構想はありますか?
倉本 ありますよ。
猿渡 例えば、それはどういった内容なんでしょうか。
倉本 僕は、黒板五郎(演・田中邦衛)の死を描きたかったんです。それに、純(演・吉岡秀隆)と蛍(演・中嶋朋子)の青年期から大人になっていく姿をもっと描きたかった。実は、その続編を書こうというのは、吉岡(秀隆)とここ(自宅)で散々練ったんです。ふたりでね。
猿渡 それは、すごく気になりますね。ぜひ見てみたいです!
僕も大好きな格闘技の漫画を描くに当たり、今までいろんな格闘家と目いっぱい付き合ってきましたが、倉本さんが北海道に移住されて、地元の人々と交流して、自分の糧にして、『北の国から』をはじめとする北海道を舞台にした名作を次々と生み出していったのはやっぱりすごいなとあらためて感じました。
倉本 僕は大河ドラマ『勝海舟』(74年)でNHKと大ゲンカしてけちょんけちょんにやられて。そこから札幌のすすきのに流れてきて、2、3年過ごしたんですが、これが良かった。北海道人は野党びいきなんですよ。だからね、僕みたいに中央の権力体制とぶつかり合ったような人間を大事にしてくれるんです。
猿渡 温かく迎え入れてくれたわけですね。
倉本 ええ。バーのママから流しの歌手、やくざに至るまでみんな優しかったですよ。だから本当の意味で〝大衆〟を知り、学ぶことができましたね。まさに〝すすきの大学〟ですよ。
今にして思えば、あのときNHKとケンカしてなかったら僕のここまでのキャリアはなかったでしょうね。
●倉本 聰(くらもと・そう)
1935年生まれ、東京都出身。東京大学文学部美学科卒業。59年ニッポン放送入社。63年退社後、シナリオ作家として独立。77年、北海道・富良野に移住。84年に「富良野塾」を開設、俳優と脚本家の育成にも長年にわたり尽力。主な作品に、ドラマ『前略おふくろ様』『北の国から』『昨日、悲別で』『やすらぎの郷』、映画『冬の華』『駅 STATION』『海の沈黙』など。2000年、紫綬褒章受章、10年に旭日小綬章受賞。02年、菊池寛賞受賞。
●猿渡哲也(さるわたり・てつや)
1958年生まれ、福岡県出身。『海の戦士』(週刊少年ジャンプ)でデビュー。格闘漫画『高校鉄拳伝タフ』『TOUGH』『TOUGH 龍を継ぐ男』は累計1600万部超を記録している。
構成・文/高橋史門 撮影/高橋定敬