レトロ遺産を掘り返す山下メロ氏
記憶の扉のドアボーイ・山下メロです。記憶の底に埋没しがちな平成時代の遺産を今週も掘り返していきましょう。
さて、平成に進化した文化のひとつに通信カラオケがあります。それまではレーザーディスクやVHDなどの映像記録媒体を大量に並べ、曲を選ぶたびにメディアを入れ替える必要があり、何より広い空間がないと過去の大量の楽曲を自由に選択できない状態。しかも新譜のソフト化にも時間がかかりました。
各種の問題を解消した通信カラオケは、どのように誕生したのでしょうか。その源流はミシンです。
ジョイサウンドで知られる通信カラオケ大手エクシングの親会社はミシンにおける刺繍用データ転送のノウハウを持っていたブラザー工業。同社がパソコンソフトの流通問題を解消すべく、1986年から稼働させたのが、ソフトの自動販売機「ソフトベンダーTAKERU」です。

専用ケース。これにフロッピーを入れて持ち帰る。3.5インチと5インチどちらでも使える大きさ

配信情報が書かれたチラシ「TAKERU PRESS」

TAKERUは、ロッカーのような筐体の中央にブラウン管モニターを備えた武骨な風貌で、パソコンショップの前などに設置されていました。
画面上でソフトを選ぶと、電話回線を通じてデータがダウンロードされ、それが専用のフロッピーディスクやカセットテープに記録され持ち帰る仕組みでした。マニュアルも簡単なものは内蔵プリンタから印刷されます。
パッケージが巨大だったパソコンソフトの在庫問題を解消し、パソコン通信が普及していない時代でも利用者がマイナーなソフトウエアを手軽に入手することができる画期的な存在で、11年もの間稼働しました。

通信カラオケのリモコンと目次本。目次本には楽曲名と対応する番号が並んでいる。番号をリモコンで本体に送信して曲データを呼び出す

音楽の演奏データであるMIDIデータをTAKERUで販売した経緯から、データサイズの小さい演奏データを電話回線経由でダウンロードし、それを現場の機械に演奏させる形に転用し、通信カラオケが誕生します。
当初はTAKERUで受信してから各端末に配信していたため、基になっただけでなくTAKERUそのものがカラオケの現場で活躍していたのです。
撮影/榊 智朗