20年近くにわたり映画『ドラえもん』の監督を務めた芝山努氏と、藤子プロのチーフアシスタントとしてマンガ『ドラえもん』の制作を支え続けたむぎわらしんたろう氏。彼らが見た藤子先生の素顔、そして『ドラえもん』という作品の魅力とは―。


■先生は誰よりも“子供”に近かった

―まず、『ドラえもん』との出会いから聞かせてください。

むぎわら 小学生のときに親が買ってきたコミックスの10巻を読んで『ドラえもん』が大好きになって、すぐに全巻集めました。それをボロボロになるまで読んで、実際に押し入れの中で寝てみたり、机の引き出しに足を突っ込んでみたり(笑)。そのうち「こんなマンガを描きたい」と思って、15歳から小学館の藤子不二雄賞にマンガを応募するようになったんです。

―その後、19歳で藤子不二雄賞の佳作に入選したむぎわらさんは、藤子先生と実際に会うことに。

むぎわら 『ドラえもん』を描いた先生は、僕にとって“神様”みたいな存在でした。
初対面のときは「写真と一緒だ!」というのが素直な感想で、挨拶をするだけで精いっぱい。その後、藤子プロの面接を受けたんですけど、先生から直々に「今月『ドラえもん』を描くから手伝ってくれないか?」って言われて。当時は専門学校生だったんですけど、それは断れないですよ、神様の言葉だから(笑)。

芝山 僕は『のび太の海底鬼岩城』で初監督をやったときに初めて先生と直接やりとりをしたんだけど、先生の持つ“子供的な心”はほんとスゴいなって。僕も子供の心をつかまえるのがうまいほうなんですけど(笑)、ちょっとあざといところが多くて、先生みたいに純粋にはとらえられないんだよね。

むぎわら 先生は今の子供たちが何を好きなのか絶えず研究してました。
当時ならミニ四駆を買ってきて「これを作っておいてください」と、アシスタントに渡されたり。子供の好きそうな映画がはやっていれば、いち早くマンガに取り入れて。先生のマンガを見れば、そのとき何に夢中になっていたかわかりましたね。

―先生から原稿に対して指示が入ったりすることは?

むぎわら 僕らが上げた原稿に対してああだこうだ言うことは何もなかったです。『ドラえもん』について語るようなこともほとんどなくて。ただ、一度、僕が「どうして大長編では“未来”を舞台にしないんですか?」と聞いたことがあるんですけど、そのときは「未来をおもしろく描く自信はありません」と。
「未来ではドラえもんの力が使えなくなるから」と言われていましたね。

芝山 先生って、実は照れ屋さんだったのかな。僕も一度もじっくりそういうことについて話したことがないんですよ。映画の試写会で会っても毎回「いやぁ、面白かったですよ」って言うだけ。こんなにコワいことはないよね(笑)。

むぎわら なんでも見透かされているような方なんですよ。


芝山 多くを語らないしね。毎回映画の打ち合わせは、原作が未完成の状態から始めるんだけど、ものすごく観客を引き込むような冒頭の原稿を見せられて「先生、この後はどうなるんですか?」って僕が聞くと「さぁ、僕にもわかりませんよ」って(笑)。

■『ドラえもん』は永遠の“アナログ”

―『ドラえもん』の魅力とは?

芝山 『ドラえもん』の中には先生の“藤本学説”がいっぱい入ってるんです。恐竜が絶滅した理由も、ムー大陸の謎も『ドラえもん』さえ見れば全部解明されてる。実際にドラえもんがいないからこの学説が成り立たないだけで、本当にドラえもんがいればいいんです。ただ、そんなすごい学説を打ち立てる先生も「僕は“戦い”がへたなんです」とはよく言われてました。
マンガでもあっさりとしか戦いを描かないんです。それに、戦闘シーンで壊すのは鏡面世界だけで『ウルトラマン』みたいに現実世界を壊すことはなかった。

むぎわら そこはあくまでも『ドラえもん』なので、のび太の冒険の中で必ずお話が終わるように意識してつくられていたと思います。地球が破壊されようが何が起ころうが、最後は必ずのび太の日常で終わるようにという。

芝山 さっきまで地球の危機を救ってたのび太たちが、何事もなかったかのように「ただいま!」とママの元に帰っていく。もう、それは描いていても快感だったね。


むぎわら 姿を明かさないヒーロー。『パーマン』と同じですよね。

―96年に先生が亡くなられてからの制作は?

むぎわら 先生が亡くなられた後にご自宅に行くと、机の上に途中まで原作を描かれた『のび太のねじ巻き都市(シティ)冒険記』のアイデアノートが置いてあったんです。そこに、ゆるい筆跡で「謎の生命体」とか「山火事」とか書かれたアイデアのブロックみたいなものがたくさん描いてありました。

芝山 それを元に関係者が何度も集まってストーリーを組み立てていって。特に、僕とむぎわらさんは毎日電話でやりとりしてね。

むぎわら 先生のノートを読み解きながら描いていった感じですね。その『ねじ巻き』の次回作は『のび太の南海大冒険』なんですけど、これは先生が描いたコミックスの最終巻(45巻)の表紙が、ドラえもんが帆船を持っているイラストだったのをヒントに描き始めたんです。この原作を描いたときは、プレッシャーよりも「ひみつ道具を自由に使って描ける!」という楽しさがすごくありました。

芝山 僕は、先生が亡くなられてからの映画づくりはつらかった……。映画の出来がどうであれ、もう人のせいにできないからね。あと、あの“入浴シーン”をなかなか入れられなくなっちゃったんだよ……(苦笑)。

―しずかちゃんの入浴シーン?

芝山 あれは、先生の余裕の表れだと思うんですよ。実は、入浴シーンは入れるタイミングがすごく難しくて、先生は本当に絶妙なタイミングで入れてくるんです。

むぎわら 僕、入浴シーンの下書きを芝山監督に見せたときに「しずかちゃんの胸は『し』の字じゃなくて、『く』の字だよ」って注意された覚えがありますよ(笑)。

芝山 あれをイヤらしくなく描くのはすごいことなんだよ。

―そんな『ドラえもん』という作品はどんな存在ですか?

芝山 アナログの世界の象徴ですね。今のアニメはつくり方がデジタル化されてるから、話までデジタル化してる。でも『ドラえもん』にはギャグや遊びの要素がちゃんとあって、機械的じゃないんです。

むぎわら 僕は今も一読者として「こんなドラえもんが見たい」っていう願望から描いています。それはずっと変わらないですね。

―最後に、100年後に生まれてくるドラえもんにメッセージを。

芝山 『ドラえもん』の映画がちゃんと正しく作れているかを本人に聞いてみたいですね。それで、文句があったら言ってほしい(笑)。

むぎわら 100年後……。そのとき、『ドラえもん』はどうなってるんだろう……。変わらず元気でいてくれたらいいですね。

(取材・文/short cut [岡本温子、佐藤真由] 撮影/五十嵐和博)

●柴山 努(しばやま・つとむ)


1941年生まれ、東京都出身。『ど根性ガエル』『まんが日本昔ばなし』『ちびまる子ちゃん』など多くの名作テレビアニメで作画や演出、監督を手がける。『ドラえもん』映画シリーズでは第4作『のび太の海底鬼岩城』から第25作『のび太のワンニャン時空伝』まで計22作を監督

●むぎわらしんたろう


1968年生まれ、東京都出身。1988年に藤子プロに入社。1993年より、チーフアシスタントを務める。藤子先生亡き後、『のび太の南海大冒険』など大長編4作品の原作執筆を手がける。現在、『月刊コロコロコミック』にて野球マンガ『新ドラベース』を連載中

元の記事を読む