「ZEN(禅)」という言葉は、世界各国どこでも通用する国際語になり、とくに欧米での関心は高まっている。体のトレーニングと同様に、健やかな心の力を維持し、毎日気分よく過ごすためにも心のトレーニングも必要。

禅の修行は、そのような心のトレーニングになるのだ。

◾️「欲」「怒り」「愚かさ」…人の業から距離を置く禅の教え

『捨てること、離れること』(升野俊明著、大和書房刊)では、曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー、多摩美術大学名誉教授の升野俊明氏が、快適に心軽やかに過ごすための「捨てる」「離れる」禅的思考を紹介する。

禅の考え方は、体で会得するもの。そのために禅僧は日々、修行に励んでいる。禅の修行はひたすら坐禅をしたり、厳しいものを想像するかもしれないが、そんなことはなく、普段の生活の中でもできる行がたくさんあるという。

その中でも升野氏がおすすめするのが掃除だ。

禅では「一掃除ニ信心」といわれる。禅でいう掃除とは、物質的なチリやゴミを取り除くためではなく、心についたチリやゴミを拭き取るためのれっきとした行なのだ。玄関の履き物が整っているということは、心もまた整っているということ。この掃除の効果は、人にやってもらうのでは意味がない。自分の手や体を動かしてこそ心も磨かれるのだ。

仏教には「貪瞋痴」という三毒がある。

「貪」は、際限なくあれこれをむさぼる貧欲さ。「瞋」は、激しく怒ったり、恨んだり、妬んだりすること。「痴」は、正しいものが正しく見えない愚かさ。仏教では、これらをできるだけもたず、距離を置いて生活するようにと説いている。

禅では、「瞋」の怒りの感情は、頭にもち上げるなと説く。腹にとどめておけということだ。

カッととするようなことを言われたとき、「ありがとさん」や「待てよ」という呪文のようなフレーズを用意しておくといい。その呪文を3回繰り返す。怒りの感情は、3秒で静まるといわれている。「ありがとさん、ありがとさん、ありがとさん」と唱えているうちに3秒経ち、怒りを腹にとどめておくことができるということだ。

本書は禅の教えから「捨てる」「離れる」をテーマに取り上げている。捨てるもの、離れるものを日々の暮らしの中で見つけ、心を健やかにするためにも、心のトレーニングをしてみてはどうだろう。

(T・N/新刊JP編集部)