7月30日(水)に開催された明治安田Jリーグワールドチャレンジ2025。20年ぶりの来日を果たしたリヴァプールは、後半の3得点で横浜F・マリノスを下した。


 “イスタンブールの奇跡”の立役者の一人、リヴァプールで長年活躍した元ポーランド代表GKイェジー・ドゥデク氏がインタビューに応じた。インタビューの後編では、GKを始めたきっかけやPK戦の臨む心得について語ってくれた。

取材・文=三島大輔(サッカーキング編集部)
写真=菅野剛史(サッカーキング編集部)

――まずはGKを始めたきっかけから教えてください。
ドゥデク 12歳からGKを始めました。それまでは左サイドバックでプレーしていたのですが、当時のチームメイトが全員年上だったので、一番年下の私は「プレーするならGKしかない」という状況でした。左サイドバックへの未練もあったのですが、そのまま続けていてもロベルト・カルロスにはなれなかったでしょうね(笑)。ですから、GKというポジションを選べたことはある意味正解でした。

今ではGK専門のコーチがいて当たり前ですが、当時はGKのスキルを教えてくれるコーチがいませんでした。当時の監督から「いいものをあげるよ」と言われて渡されたのが、ドイツ語で書かれたGKのトレーニング本(笑)。練習方法やGKにとって大切なスキルなどが書いてありましたね。今ではYouTubeなどインターネットを使ってたくさんの情報を得ることができますが、当時の私にとってはこの本が“イノベーション”でした。

――日本でもフィールドプレイヤーをやりたい人が大半で、GKは「ジャン負けで」ということもあります。

ドゥデク ゴールが決まったらGKが交代するというルールはポーランドにもありましたね。GKをやりたくないから、わざと決められる人もいました。一方で現代サッカーにおけるGKは重要なポジションであり、フィールドプレイヤーの一人として確立されています。1992年にルール改正があり、GKはバックパスを手で取ることができなくなりました。当時の私も「変わらなければ」と思い、ポーランドリーグの中で足元の技術を磨き、適応に務めました。12歳まで左サイドバックとしてプレーした経験も生きたと思います。

――おっしゃる通りで現代サッカーにおけるGKは年々重要なポジションになっていると思います。
ドゥデク 劇的に進化していると思います。フィールドプレイヤーと同じくらい、むしろそれ以上に足元の技術が求められます。仮に足元の技術に優れた中盤の選手がボールを失ったとしても、後ろにはDFとGKがいるので、そこまで危機的な状況にはなりません。しかし、GKはもう後ろに人はいないので、一つでもミスをしたらゴールを決められてしまいます。1対1、クロス対応、足元でのボールスキル、局面を見極める力……。
現代のGKは全てにおいて優れていなければなりません。非常に難しいポジションですが、やり甲斐もあると思います。

――日本代表は2010年の南アフリカW杯、2022年のカタールW杯とベスト16で過去2度PK戦に敗れた歴史があります。PK戦の末にミランを破り、チャンピオンズリーグ優勝を成し遂げた経験をお持ちですが、GKにとってPK戦はどんなことが重要になるのでしょうか?
ドゥデク まず一つ言えるのは「PKは練習できるものではない」ということです。なぜなら練習と本番では全く違う環境だからです。いかに本番で強いメンタリティと個性を出せるかが重要だと思います。ポーランドのサッカー界にはこんな言葉があります。「PKに素晴らしいセーブはない。そこにあるのは悪いキックだけ」。GKはできるだけキッカーに対して揺さぶりをかけ、普段通りのキックができないようにプレッシャーをかけるのです。

一つ余談になるのですが、ラファエル・ベニテス監督からヨン・アルネ・リーセとPKの練習をするように命じられたことがありました。監督のデータによるとリーセのPK成功率は100パーセントでした。
その時にリーセから「左隅に蹴る」と予告されたのですが、私は止めることができませんでした。彼のキックは正確でパワーがあるのです。ですが、そのリーセさえもミランとのチャンピオンズリーグ決勝で感情が揺さぶられてしまったのか、PKを決めることができませんでした。普段の練習や試合で選手たちは何も考えずにパスやシュートをすると思います。そこに感情はあまり乗っていません。GKとしてPKのキックだけはオートマチックにできない状況に持って行くのです。

――「揺さぶりをかける」という意味では、チャンピオンズリーグ決勝で見せた動きは効果的だったと思います。あれは自ら編み出したのでしょうか?
ドゥデク 決勝の前にミランの選手の過去データは頭に入れて臨みました。2002-03のユヴェントス対ミランのチャンピオンズリーグ決勝もPK戦までもつれ込んだので、アンドリー・シェフチェンコがどんなキックをしたのか。ジャンルイジ・ブッフォンがどんなセーブをしたのか。しっかりと勉強をしました。そういったデータもあったので、5人目でシェフチェンコが向かってくる時に「絶対に止められる」という自信しかありませんでしたね。
他のミランの選手の顔を見た時に「右に蹴るな」「左に蹴るな」という雰囲気も感じ取っていました。

チャンピオンズリーグ決勝という大舞台でPKを止めたらヒーローですが、止められなかったら何も得られません。自分に対するプレッシャーもありましたが、キッカーの選手はもっとプレッシャーを感じていたはずです。動きで揺さぶりをかけつつも、相手選手の目はしっかりと見ていました。1人目のキッカー、セルジーニョの目を見た時に「感情が揺れているな」と分かり、外した時に「これはいける」と思いましたね。

チームメイトのジェイミー・キャラガーからは「とにかくプレッシャーをかけろ」と口酸っぱく言われていました。そこで参考にしたのが、ブルース・グロベラーです(※リヴァプールで活躍した元ジンバブエ代表GK)。あのクネクネした動きは、ブルースからインスピレーションを受けています。1983-84のチャンピオンズカップ決勝のPK戦、ブルースは“スパゲッティレッグ”と言われる独特な動きで相手のミスを誘いました。ですので、私もどうキッカーにプレッシャーをかけて、感情を揺さぶるかしか考えていませんでした。あの動きは「面白い」と言われたりもしましたが、こちらは大真面目にやっていたのです。“ドゥデクダンス”という言葉は正直あまり好きではありませんでした。
一つのネタのように扱われていたからです。ただ、言われ続けたのでもう受け入れていますよ。

――そういった秘話や駆け引きがあったのですね。今後PK戦を見る際の見方が変わりそうです。
ドゥデク PKはキッカーの方が責任を感じると思います。なぜなら決めて当然だと思われているからです。GK視点ではもちろんPKを止めたいですが、そう上手くはいきません。仮に決められたとしても「あのGKはダメだ」とは言われないですよ。

――今日は貴重なお話をありがとうございました!
ドゥデク こちらこそありがとうございました。PK戦について聞きたかったら、いつでも電話してくださいね(笑)。
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