昨年の大晦日にYouTube上で行われた生配信上で、KinKi Kidsは今年の夏ごろを目処に、その名前を「DOMOTO(ドウモト)」に改名することが発表された。
今年の1月にかけ開催されたドームツアーのタイトル名がそのまんま「DOMOTO」であったことは、ある種の「匂わせ」、ヒント的な意味合いだったともいえる。
ジャニーズ事務所解体後に複数のグループが改名
関ジャニ∞ → SUPER EIGHTジャニーズWEST → WEST.
Sexy Zone → timelesz
ジャニーズ事務所の解体後、すでに複数のグループが、それぞれの理由によりグループ名を変更している。DOMOTOは、それに続くグループ名変更となる。
24年3月に堂本剛が当時所属していたSMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)を自身の専属契約満了にともない退所した。
その際、KinKi Kidsは解散せず、活動の継続も発表された。また、その時期に放送されたテレビ番組『だれかtoなかい』(フジテレビ)に堂本光一が出演、その際に、MCの中居正広に光一も事務所を出たらどうなるのかと聞かれ、
「(KinKi Kidsの)名前は使えないですね」
と光一は答えていた。光一が言うには権利関係によるものだということだ。
グループ名にはこだわっていなかった剛
とはいえ、それに対して剛は、「たとえKinKi Kidsというグループ名を使えなくなったとしても、2人で活動するんならそれでいいじゃん」と言っていたという。もしかして光一は「KinKi Kids」の名前を(楽曲も?)守るため、一人事務所に残る決断をしたのだろうか、そんな熱い妄想もふくらんだりした。
実際に二人がどのような思いを抱き、事務所とどのように話し合ったかはわからないが、結果として光一が旧事務所に残留し、グループ名を改名するという現在までの流れは決定した。
「キンキ」という響きが欧米ではあまり好意的に響かないことを改名の理由のひとつとしてあげる報道もあったが、言うまでもなく「KinKi Kids」の名付け親は、事務所の創業者である故ジャニー喜多川氏である。
ジャニー氏とフレンドリーな距離感だったキンキ

その功罪はまた別の話として、「YOUやっちゃいなよ」などの口癖や数々のエピソードを、ときにはものまね風に、ユーモアを盛り込みながら音楽番組やトーク番組などで語り、多くの人にとっての親しみぶかい「ジャニーさん像」をイメージとして形成させてきた代表格は、このキンキの二人や中居正広、TOKIOの松岡昌宏あたりだったのではなかっただろうか。
氏の死去後に発表された、「涙は流さずにこの体と心へと彩って あなたを愛しているという 変わらない毎日を大切に生きていくよ」という剛のコメントも印象深い(一部抜粋)。
のちに開催されたキンキのコンサートで、ジャニー氏が天から下りて見に来ているのではないか、だけどドームの屋根に弾き返されたりしてと、MCで談笑していたこともあった。
「KinKi Kids」の封印が意味すること

それだけに二人が「KinKi Kids」という名前を封印することには一連の事態を経たことでのジャニー喜多川との訣別、旅立ちといった意思も込められているように感じられてしまう。
改名の正式発表よりも前に一部メディアでは改名予定と報道され、ファンなどの間で新しい名前についての予想合戦が繰り広げられた。
先にあげたツアータイトルでもある「DOMOTO」や、テレビ番組と同名で親しまれてきた「堂本兄弟」の名も多くあがったが、予想の中で多くあがっていた名前のひとつが「KANZAI BOYA」だった。
幻のユニット名として知られる「KANZAI BOYA」

’20年6月にはこの名前そのままのファンク色つよい楽曲「KANZAI BOYA」を42枚目のシングルとしてリリースしている。
剛は奈良、光一は兵庫出身である。旧ジャニーズあるあるかもしれないが、出身地が近畿地方だから〝キンキキッズ〟(またはKANZAI BOYA)という安直すぎる(?)直球思いつきな、ある意味「らしい」ネーミングだ。
その名を告げられた際にふたりは「終わった」と思ったことを、たびたび述懐している。
話は少しそれるが、そこに大阪や京都、滋賀など、近畿地方にゆかりのあるメンバーを集めたグループを結成する構想もあったと明かしたこともある。
ジャニー氏は「光GENJI」や「忍者」といったグループ名など、「日本」「和」の要素を意識したコンセプトを押し出すこともあり、のちにキンキとなる二人と井ノ原快彦、長瀬智也の4人で「ジパング」というユニットを結成しようというプランもあったという噂が流れたこともある(噂を知った長瀬はキンキの二人と組めるかもと喜んだとテレビ番組で語っている)。
「堂本」という姓が二人いた運命
それらのプランよりも、やはり「堂本」という姓が二人存在するという、運命としかいいようのない偶然があるのなら、そうなるのは必然だ。二人は二人でいることが運命だったのだろう。「DOMOTO(堂本)」という、比較的珍しい姓をもち、かつ際立った才能を秘めた二人が同世代で現れたわけである。
そんなの、故ジャニー氏でなくとも「運命!」と感じざるを得ないだろう。
「DOMOTO」二人の現在

剛は退所前の‘24年1月に百田夏菜子と結婚、現在はソロプロジェクト「.ENDRECHERI.」の活動も順調だ。いっぽう事務所に残留するかたちとなった光一は、ミュージカル国内単独主演記録を保持する主演舞台『SHOCK』シリーズを終了させ、新たな活動に意欲を燃やす。
二人は解散しそれぞれの道をこの先歩くのではなく、これからも剛と光一、二人で「DOMOTO」として歩んでいくという道を選んだ。
そのためにもジャニー氏が命名した名前と訣別し、「DOMOTO」という二人だけの名前が彩る世界を作っていくという道を選んだということだろうか。
とはいえ、改名後も〝DOMOTOとしての第一弾、ドーン!〟というよりは、〝そういえばDOMOTOだった〟ぐらいのテンションで。そんな気もする。
改名発表の配信でも「基本的にこの二人は変わらないと思っていただければ」「表札が変わったような感じで」とも語っていた。
これまで通りの二人のまま、自然体でスッと見慣れた感じでDOMOTOは現れるのだろう。
<文/太田サトル>
【太田サトル】
ライター・編集・インタビュアー・アイドルウォッチャー(男女とも)。ウェブや雑誌などでエンタメ系記事やインタビューなどを主に執筆。