NHK連続テレビ小説『あんぱん』に俳優の河合優実(24)が、ヒロインの朝田のぶ(今田美桜)の長妹である蘭子役で出演し、観る側を圧倒するような演技を見せている。「天才」と称する声すら上がり始めた。
物事には必ず理由がある。なぜ、河合は魅力的で、絶妙の演技を見せられるのか? その理由を考察してみたい。
「日本人は哀愁民族」河合優実(24)が体現する伝統的魅力。『...の画像はこちら >>

圧倒的な演技力で注目

まず、俳優として大成する素質に恵まれた。よく「山口百恵さんに顔が似ている」と言われるが、顔立ちが戦後最大級のアイドルと近いからといって、俳優として成功するわけではない。

この2人には顔立ち以上に大きな共通項がある。全身から得も言われぬ哀愁を漂わせているところだ。これはいくら稽古を積んでも身に付かない。生活歴や人生観などが反映される。

日本人と哀愁の結びつき

「日本人は哀愁民族」との持論を持っていたのは八代亜紀さんの『舟唄』(1979年)などをプロデュースし、一方で音楽記者として美空ひばりさん阿久悠さんに最も信頼された小西良太郎氏である。

日本人は哀愁のある歌を好みがち。八代さん、美空さんら演歌勢のみならず、小田和正(77)スピッツなどの作品群もそう。若手アーチストにも当てはまる。

俳優の好みにもその傾向が強くある。戦後の3大女性俳優は田中絹代さん原節子さん京マチ子さんを指すことが多いが、いずれも哀愁という一面があった。
男性の大スターも同じ。高倉健さん渥美清さん鶴田浩二さんは揃って哀愁が持ち味の1つだった。

蘭子を演じる河合の哀愁が発揮された一例は『あんぱん』第38回だった。婚約者・原豪(細田佳央太)の戦死通知が朝田家に届いた。豪の死を知らぬ姉・のぶが勤務先の尋常小学校から帰宅すると、蘭子は静かな口調で「お姉ちゃん、お帰り」と口にした。それ以外のセリフはない。

後ろ姿でも演技が出来てしまう

蘭子は家の門の外に腰を掛けていた。カメラは横顔しか映さない。蘭子はやや肩を落とし、無表情で宙を見つめているばかり。それだけで蘭子の傷心と悲痛がひしひしと伝わってきた。河合本人も演出サイドも彼女には哀愁があると知っているはず。それが生かされた。

演技力そのものも折り紙付き。
2021年には映画界の新人賞の大半を獲得し、昨年公開された主演映画『ナミビアの砂漠』と『あんのこと』では主演映画賞を総ナメにした。

演技賞を独占するくらいだから当然なのだが、河合は後ろ姿でも演技が出来てしまう。それは『あんぱん』でも分かる。

『あんぱん』の第29回、蘭子は豪に召集令状が届いたあとも勤め先の郵便局に向かう。肩が落ちている。首も心なしか前に傾いている。河合は表情もセリフも使わずに蘭子の沈んだ気持ちを表した。

そもそも優れた演技とは何か。「作品内に溶け込み、観る側は俳優が演じていることを忘れてしまう演技」(演劇評論家・木村隆氏)。河合にそれが出来ることを否定する人はいないのではないか。

河合は素質に頼らず、演技プランも周到に考えている。古き時代を思わせる『あんぱん』での身のこなし方には舌を巻くが、それでも本人は納得していない。
「『自分は現代人の体の使い方をしている』と思うこともあります」(河合、『婦人公論.jp』5月21日)。考え抜いて演技をするタイプなのである。

12歳から母親に体を売ることを強要され、やがて覚せい剤に依存する少女・杏を演じた『あんのこと』のときはこう語っている。

「歩き方や箸の持ち方を考えたり、杏がどういう文字を書くのか監督と試してみたり。服装やメイクなども含めて、スタッフの皆さんにも協力してもらって緻密につくっていきました」(放送批評懇談会『GALAC』2024年7月号)

演じる役の人間がどんな文字を書くかまで考える俳優はほとんどいないだろう。道理で作品内に溶け込むわけだ。

河合優実の天才性

優れた俳優になるための素質は「1に声、2に顔、3に姿」である。これは歌舞伎も含め、どのジャンルの俳優も同じ。

河合はどうか。まず「声」。低いが、よく通る。また、どこか、可愛らしい。なにより、口跡(俳優の声の使い方とセリフの言いぶり)が抜群にいい。
だから、どんな早口や怒声でもハッキリと聞き取れて、胸に届く。

第38回で蘭子はのぶに向って、こう声を張り上げた。

「子供たちにもそう教えちゅうがかや? 兵隊になって戦争に行きなさい、命を惜しまずに戦いなさいって。豪ちゃんみたいに名誉の戦死をしなさい、戦死したら、立派やって言いましょうって」

声が大きかったから、やや割れていたが、不快には思わせなかった。やや早口だったものの、よく聞き取れた。口跡がいいからである。名優の必須条件だ。

2番目は「顔」。これは語り尽くされているだろう。面長と涼しげなが大きな特徴か。大人びた表情が得意とするものの、それでいて顔には幼さも残っている。これも俳優としてはプラス。
役と演技の幅が広がる。

昨年放送されたTBS『不適切にもほどがある!』で河合は不良高校生・純子を演じ、父親・市郞(阿部サダヲ)に向って「おやじ、金くれ」と繰り返した。とんでもない娘だったのだが、観る側がなんとなく許せたのは可愛げがあったから。顔に残る幼さが生きた。大人びた表情は演技とメイクでつくれるものの、幼さを出すのは難しい。

手足の長さが“映え”にも繋がる

3番目は「姿」である。河合は身長166cmだから、平均的。ただし、首と手足が長く、顔が小さい。

この身体的特徴が生きたのが『ナミビアの砂漠』。河合が演じたヒロインは同棲相手の男性とよく壮絶な取っ組み合いのケンカをした。映画に欠かせない場面だった。この場面が映えたのは河合の手足が長いから。

この映画では走るシーンもよくあったものの、河合の演技プランからか一般的な走りとはとはやや異なった。
ちょっと浮くように走り、目を惹いた。ヒロインは典型的な自由人なのだが、それが走りにも表されていた。これも手足の長さが生かされた。

このヒロインは21歳。2人の男性と交際する。片方の男性と別れる際には一方的に逃げた。新たな男性のことは「おまえ」呼ばわりし、「死ね」とまで言うものの、ときには態度をあらため、殊勝になる。その変化に違和感をおぼえさせない背景には演技力があるが、やはり素質もある。河合本人に崩れたイメージがないからだ。どんなにやさぐれた女性を演じようが、無垢な地点へと戻って来られる。

『あんのこと』のヒロインもそう。覚せい剤に溺れているころは荒みきった表情をしていたが、更正すると、ピュアな少女に一変した。ギャップはなかった。『不適切にもほどがある!』で不良高校生から母親に変わったときも同じである。

大手ではなく“映画がやりやすい”事務所を選択

東京都練馬区の出身。父親は医師で母親は看護師。小学3年生からヒップホップダンスを習った。体の使い方がうまいのは運動神経がいいせいか。高校はOGにホラン千秋(36)らがいる都立国際高校である。偏差値68とされる上位進学校だ。

演出家たちは「俳優と学歴は関係ない」と口を揃える。ただし、頭は良いほうがいいともいう。役づくりには頭を使うからである。

河合は日大芸術学部演劇学科に進むものの、同時に現在の所属事務所・鈍牛倶楽部の門を叩き、ほどなく大学は中退する。俳優には必ずしも学歴が必要ではないことが分かっていた。

同事務所にはスカウトされたわけではない。ネットで自分に適した事務所を探し、入所した。これも非凡だった。芸能界志望の若い女性は有名な大手芸能事務所を目指しがちだからである。ただし、その道を選ぶと、バラエティなど俳優以外の仕事も入ってきやすくなる。

同事務所はオダギリジョー(49)ら俳優1本に絞っている所属者ばかり。そのうえ映画制作や配給を手掛ける木下グループに属しているから、映画に滅法強い。河合は2019年のデビュー以来、実に28本もの映画に出演した。うち主演作は5本。ドラマは18本。うち主演作は4本である。

映画を主な活動場所にしたことが奏功しただろう。本人も映画がやりやすい事務所を選んだのではないか。映画の仕事は演技力が高まる。長い時間をかけ、稽古をしっかりやるからだ。

民放のドラマは1990年代以降、稽古をほとんどやらなくなった。俳優が忙しいことに加え、制作費を節約するためである。TBS『グッバイママ』(1976年)などを撮った元TBSの大物ドラマ人・堀川とんこう氏はこれを深く憂慮していた。今、きちんと稽古をするのはNHKだけなのである。

河合は何年かに1度の天才なのかもしれない。素質に恵まれたからだが、それ以上に本人の努力や仕事に取り組む姿勢が大きい。

文/高堀冬彦

【高堀冬彦】
放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員
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