完全に後出しジャンケン的であれだが、かねてから国分太一の如才の無さは相当な高さだと思っていた。
 “如才”は手落ちや手抜かりを指す言葉で、<如才ない>とはその否定、つまりそれらが無いという状態のことだ。


・気が利いていて抜かりがない。(デジタル大辞泉)
・振る舞いや態度が自然であることを表す言葉である。特に、人々の前での振る舞いが無理がなく、自然体である様子を指す。(実用日本語表現辞典)
・話などがうまく、気が利いていること(同)

 ウェブ辞書での解説を見てみたら、やっぱり“如才ない”とは国分太一というひとそのものを表すような気がしてきた。

 逆に、この解説から思い浮かぶSTARTO社関連タレントといえば誰ですか? と聞かれたときにも上位にランキングされる気すらする。

TOKIO人気を押し上げた立役者

「デビュー前からすごかった」国分太一がもっていた“謎の力”。...の画像はこちら >>
 失礼な言い方にはなるが、アイドルとしての国分太一は、決してど真ん中のエースではない存在であったと思う。

 そもそもTOKIOはバンドスタイルという形態ということもあって、メインボーカル・長瀬智也という存在がいたわけなのだが。株式会社TOKIOでは副社長。

 だけど、一時期はNHK、民放在京地上波すべてでレギュラー番組を持っていたほどで、2014年からはおよそ5年半にわたり、朝の情報番組『いっぷく!』のメインキャスターとして“朝の顔”としても活躍するなど、お茶の間への浸透度は抜群だ。

 他にも『オーラの泉』や『男子ごはん』、『ぐるナイ』の「ゴチになります!」といった人気番組にも多数出演し、TOKIOがいわゆる“お茶の間タレント”としての知名度、好感度を高めた中心人物、もちろん他の4人の、そしてグループとしての魅力も大きいことはいうまでもないが、国分太一の如才なさも、TOKIOの人気をひっぱり続けた理由のひとつであるはずだ。

 視聴者やファンにばかりでなく、使う側の局・番組サイドからも如才なさがアピールし続けてきたと見ることはできる。

事務所内でも“謎の力”を持つ存在だった

 その如才なさゆえの(?)可愛がられぶりは、TOKIOとしてのデビュー前からあったのだと思う。光GENJIのバックダンサー的存在のグループ「平家派」のメンバー、そして結成当初のSMAPにも参加していた時期もあった。

 国分太一、昔からなんとなく重要な場所にいた。


 東山紀之の家に松岡昌宏、山口達也と居候をしていたことがあるのもまた、それゆえかもしれないいっぽうで、よく考えるとこの3人はそれぞれ高度な如才なさがあり、TOKIOというグループ全体の如才なさと高い好感度、信頼感につながり、DASH村をきっかけとした福島との関わりの深さなどに結びついていったのではないかと思うが、いったんそこは置いておき、国分個人の話に戻る。

 国分太一は昔からとにかくそこそこ事務所内の重要ポジションにいた。東山家の居候もそうでないとありえないだろう。

 それを表す有名なエピソードがもうひとつある。

 元V6、20th Century坂本昌行がジャニーズJr.(現ジュニア)時代にデビューをあきらめ会社員としてつとめていた当時、KinKi Kidsの二人と移動中にばったり遭遇した際に「坂本くんは今何やってるんですか?」と聞かれ答えられなかったことから再起を決意したといういいエピソードだ。

 事務所への復帰にあたり、間で話を取り持ってくれたのが国分だということから、その謎の力の大きさがうかがえる。

“如才ない”は裏返って“うさんくさい”になる

「デビュー前からすごかった」国分太一がもっていた“謎の力”。「退所したジュニアを復帰させた」破天荒なエピソードも
株式会社TOKIO公式HPより
 好感度タレント国分太一は、基本的にはニコニコしておりスターオーラというよりは気さくな人当たりのよさが感じられ、一定の清潔感も漂う。番組共演者、そしてロケ先で出会う相手などとのやりとりからも、表面上はそのように見えていた。

 そんななかでの突然の複数のコンプライアンス違反を理由とした無期限活動休止、日テレ社長の歯切れの悪い会見、そしてトドメに『週刊文春』のパワハラ報道だ。

 これは私見でしかないが、<如才ない>は、<世渡りがうまい>、<うさんくさい>というものと隣り合わせの存在であったりすることも時にあるような気もする。

 好感度タレントによるスキャンダルの常だが、如才のない笑顔の裏にはそういう顔があったのかというのはダメージが大きい。

「やっぱりな」「もともとうさんくさいと思ってた」という声がにわかに大量発生するのもいつものことだろう。
冒頭で後出しジャンケンと書いたが、この記事だってそのひとつだ。

 国分の謝罪コメントに「慢心」と記されていたが、高い好感度を誇る国民的アイドルグループとして、山口達也の一件による大きな衝撃から学ぶことはなかったのだろうか。

 あのときは松岡昌宏の涙のメッセージなどで“TOKIOという箱”を守ったが、6月25日にTOKIOの解散という形で決着することとなった。

 如才なさだけでは乗り切れないこともある。それが慢心ということなのだろう。

(文・太田サトル)

【太田サトル】
ライター・編集・インタビュアー・アイドルウォッチャー(男女とも)。ウェブや雑誌などでエンタメ系記事やインタビューなどを主に執筆。
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