ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。今回ふらっと立ち寄ったのは南千住駅にある『オンリー』という喫茶店。
願いは今日も「すこしドラマになってくれ」
仕事のための読書【南千住駅・オンリー(喫茶店)】vol.6
自分で買った本ばかり読んで、出版社から送られてくる本は読む気がしない。そういう日がのんべんだらりと続いていた。「読みたい本」と「読むべき本」は、同じ本でもまるで性質が違う。読み心地以前の、「読む」という行為に向かう気力、みたいなものが違う。
それでも出版社からは、無慈悲に本が送られてくる。書評や文庫解説といった、仕事に直結する本もあれば、新しく書こうと思っている小説の資料のための本も届いた。さらには、ただなんとなくあなたにお薦めの新刊だからと勝手に送られてくるものもあった。
本が届くなど、どれほど贅沢なことか、と昔は感じていたはずで、今もその気持ちが潰えたわけではない。むしろ、有難いと思うからこそ、やすやすと送ってくれるなよ、と思う。欲しくても買えない一冊と思っている人の気持ちを、踏みにじるなよ、と思う。
そのうえで、改めて、読む気がしなかった。
このままではよくないと思いながら、街へ出る。文庫解説の締め切りが近づいていて、できれば同じ著者の古い作品もすべて読んでおきたいところなのだが、時間がない、のではなく、やはり気力がない。結局、その著者の本は家に置いてきてしまった。
所用を済ませて、荒川区にある南千住の街を歩いた。
駅の近くにおもしろい飲食店があるので行ってみてほしいと編集者に言われたのだが、紹介された店がシャッターを下ろしていたために、途方に暮れたところだった。
せっかく来たのだからと散策してみると、駅の近くに「オンリー」という名前の喫茶店を見つけた。看板に書かれた“魔性の味”というコピーが不安にさせるが、英語表記のロゴや角の丸い窓は、古さの中に新しさもあって好みだった。
ゆっくりと、扉を開けた。アーチ状に設計されたストライプ柄の店内天井がおしゃれだ。疲れていたせいで、一見客は断られるだろうかと不安に駆られる余裕もなかった。
高齢のご夫婦が、静かに営む店だった。
それらを注文して、店内を見回す。壁にかけられたカレンダーの下に、小さな本棚があった。「街なか図書館」と書かれたステッカーが貼られていて、そのラインナップに惹かれる。席を立って、本棚を眺める。ジャンルも出版社もバラバラで、統一感はない。店主夫妻の趣味だろうかと思案していると、コーヒーをお盆に載せた店主が声をかけてくれた。
「図書館で不要になった本を、送ってもらっているんですよ。よければ一冊、持って帰ってください」
ぷるぷると腕を震わせながら、店主がコーヒーを置いた。続けて出てきたホットケーキも併せて、どこまでもやさしく、美味しかった。
会計後、有栖川有栖先生の『妃は船を沈める』を薦められ、持って帰ることにした。
帰りの電車で、早速開いた。
久しぶりに、人から薦められた本が読めた。そのことが強い充足感をもたらしてくれたのか、その夜はとてもよく眠れた。そこから、不思議と仕事のための読書も、進むようになったのだった。
<文/カツセマサヒコ 挿絵/小指>
―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―
【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」