2000年代、『エンタの神様』(日本テレビ系列)を中心に”ギター侍”の異名で活躍した波田陽区(50歳)。
ギターを鳴らしながら「明石家さんま、全部が長寿番組って言うじゃない。
でもあんた、結婚生活はすぐおわっちゃいましたから!残念!」などと歌う「有名人斬り」ネタで人気を呼んだ。

しかし、ブームが過ぎ去ると姿を見る機会は激減。

その後、’16年には家族とともに福岡に移住し、現在は九州を中心にテレビ番組のレポーターや営業で活動を続けている。ブームの波に翻弄された人生とは? そして、ネット上で囁かれる「ビートたけしを激怒させて芸能界から干された」という噂の真相は? 本人が語る。

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人生が”確変”したブレイク時代

ーー’04年に『エンタの神様』(日本テレビ系)に登場、その後テレビで見ない日はないほど、ものすごいブレイクでした。

波田陽区(以下、波田):毎日、テレビ収録が毎日4~5本。それに本やDVDや着ボイスのための録音や執筆もあって、早朝から深夜まで働いていました。

ーーネタ作りにも追われていたでしょうね。

波田:どの番組でも共演者5人くらいをネタで斬るので、毎日約20本のネタを作っていました。
テレビ局の隣のホテルに毎晩入って、翌日の共演者に合わせたネタを考えて、机で少し仮眠して仕事に行く日々でしたよ。

ーーご自身では「これで一生安泰」と思っていましたか。

波田:前年に売れたダンディ坂野さんたちを、一気にテレビで見かけなくなっていたので、「同じルートかも」とは思っていました。でも、給料明細を見るとすごい額だし、気づかないふりをしていましたね。


ーー具体的にはどのぐらいだったのでしょうか?

波田:月収2000万円を超えた時もありました。自分を取り巻く状況が一変する、まさに「人生確変」の時期です(笑)。

「ビートたけしを怒らせて干された」ネットで流れた噂の真相

“月収2000万円”を超えた時も…元ギター侍・波田陽区が明かすブーム後の転落と福岡での新生活「干されていません!実力がないだけ」
2000年代、着流しにギターを抱えた姿で、一躍人気芸人に
ーー’05年の後半になると、波が一気に引いてしまいます。ネット上では、同年に『たけしの誰でもピカソ』(テレビ東京系)に出演した際に、「ビートたけしを激怒させて干された」という噂も出ています。

波田:完全にデマです!

ーー番組で、たけしさんのお嬢様をイジるネタを披露し、たけしさんが椅子を振り上げて波田さんに向かっていくシーンが放送されました。この一件の画像や動画を使って「干された」と指摘されているようです。

波田:まず、本当に激怒したなら放送されませんよね。たけしさんとはその後の共演もあり、楽しくお話ししていますから!

ーーウソが一人歩きし続けるのが、ネットの良くない部分ですね。

波田:今、うちの子が高校生で、ネットを見た同級生に「お前の父ちゃん、ビートたけしに干されたらしいな」ってイジられたりするかもと考えると悲しくなります。

ーーでは改めて、干されたわけではないんですね?

波田:干されていません!「波田の仕事がなくなったのは、実力がないだけ」って、太字で書いておいてください(笑)。

奇跡的に訪れた2度目の波

“月収2000万円”を超えた時も…元ギター侍・波田陽区が明かすブーム後の転落と福岡での新生活「干されていません!実力がないだけ」
どんな質問にも真摯に答える波田陽区さん
ーー’16年に福岡移住されたのは、新たな活躍の場を求めてということでしょうか?

波田:それもあります。事務所の人には「九州に行ったからって、仕事があるわけじゃないよ」と言われました。それでも、東京で仕事がないことで精神的にも腐っていたので、40歳を手前に何かを変えたい思いがありました。

ーー実際、福岡に移住して芸能の仕事はありましたか?

波田:ほぼゼロでした。
なので、福岡国際空港で、海外へ行く人にWi-Fiルーターを渡すアルバイトを週5でやってました。

ーーそこから、どんな風に仕事が来るようになったんですか?

波田:移住した年に卓球の水谷隼さんが、リオ五輪でメダルを獲ったんです。すると、運良く「水谷選手が波田陽区にそっくり」と、ネットで話題になって「水谷隼さんの偽物」の仕事が一気に来るようになり、その後も徐々に仕事が増えていった感じですね。

ーー一度は「干された」という噂を流されたのが、今度はネットに救われたんですね。

波田:ネットに人生を振り回されています(笑)。ただ顔が似ているだけで、僕は何もしていないんですけどね。

ーー波田さんが、きちんと日本中に顔を覚えてもらえていた賜物ですよ!

他人のふんどしというか、他人のラケットで仕事がもらえただけです(笑)。

「調子に乗らない」を信念に福岡で生きる

“月収2000万円”を超えた時も…元ギター侍・波田陽区が明かすブーム後の転落と福岡での新生活「干されていません!実力がないだけ」
筆者との記念撮影にも気軽に応じる波田陽区さん
ーー福岡では、レポーターなどの仕事が中心です。それまで東京で経験してきた、ネタを披露するような仕事とは勝手が違うと思いますが、難しさはありますか?

波田:難しいですね。ロケのやり方も東京と違って、福岡の局では基本はカメラ1台ですし。だから、見せる角度やカメラさんが来るのを待って喋ったりなどの工夫を、勉強しながらやっています。

ーー最小人数で作りますからね。


波田:おかげで、メニューのブツ撮りを手伝ったり、椅子やテーブルを一緒に運んだりもしますし。東京では、ADさんがやっていたような、ブツ撮りするときの箸上げも、なんども経験してできるようになりましたよ。

ーー人間力が高まっている感じがしますね。

波田:裏方さんのご苦労もわかるようになって、「チームでいいものを作る意識」は高まったと思います。

ーー今後も福岡で芸能活動を続ける予定ですか?

波田:そう思っていますが、人気も実力もあるのあるタレントさんは、福岡にもたくさんいるので厳しい世界です。今の信念は「調子に乗らない」ということ。晩酌も、本物のビールではなく、安い第3のビールを飲んでますよ(笑)。

ブームの浮き沈みを経てたどり着いた福岡。芸能界の酸いも甘いも知り、「今の自分にできること」を見つめて活動を続ける姿に、芸人としての真価がにじむ。

<取材・文/Mr.tsubaking>

【Mr.tsubaking】
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

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