「34歳のシングルマザー」という不利な条件を押しのけ、警察学校の試験に合格したのは、現在もアメリカの警察官として働いている永田有理さん。
インタビュー前編では、アメリカで警察官を目指すことにしたきっかけや、警察学校に合格するまでの過酷な生活などについて伺った。
今回は引き続き、警察学校での日々と、晴れて警察官になってからのエピソードをお届けする。
入学初日でプライドがズタズタに
——仕事を辞めて猛勉強し、晴れて警察学校に合格。なにもかもハッピーと思ったら、そこからも大変だったそうですね。永田有理(以下、永田):すでに貯金を使い果たしていたのですが、アメリカの警察学校では給料が出ます。そのおかげで生活面では助かったのですが、入校初日から過酷な試練が待っていました。
——そのときのエピソードを教えてください。
永田:これは入学初日のことです。スーツ姿の約70人の同期と一緒に、何が起こるかわからないまま10分ぐらい立たされていたところ、いきなりドアが開いて警察学校の人たちが大勢入ってきました。そして1人に3人ぐらいついて、罵声を浴びせてくるのです。私も、「お前、女のくせに何やってんの?」「お前、ここでやっていける?」「チビだし、老けてんな」など、さんざん言われました。
それから、彼らは入学に必要な書類を持ってきまして、その100ページぐらいの紙が宙に放り投げられ、「今すぐこれ拾え」と命令されたのです。おまけに、スーツを着たまま、泥土の地面で走らせられ、スーツはたちまち真っ黒に汚れまして……。
軍隊顔負けの過酷な日々…
——まるで、昔の軍隊のようですね……。2日目からはどのような感じでしたか?永田:初日は序の口で、次の日以降も、似たような厳しい世界が待っていました。肉体的な訓練だと、腕立て伏せを200回以上するのは当たり前。ただ「完全に止まらなければOK」というルールなので、腕がプルプルして限界に近くても、途中から形が崩れても、必死で続けていました。一応、その気力を買ってくれますが「お前できてないじゃないか」とかボロクソに言われます。連帯責任もあって、誰かがうまくいかないと「クラス全員、腕立て伏せ100回追加」と言われることもありました。
——それは過酷ですね……。警察学校ならではの訓練はどういったものがありましたか?
永田:最初の1ヶ月は、ずっとこんな感じでした。とにかく辛い訓練もあって、教官にテーザーガンで撃たれて感電するとか、目に催涙スプレーをかけられて死ぬような思いをするなど……。一生記憶に残るツラい目にも遭いました。その後、訓練と通常の授業にくわえ、ペーパーテストを含めた試験が1日に3回もあったんです。ちなみに、合格しなかったら即クビになります。
——テストにはどういった問題が出るのでしょうか。
永田:自分としては、瞬時に判断するテストが一番難しかったです。例えば、強盗の模擬訓練で自分が先に撃つべきかとか、高速度のカーチェイス訓練でどちらに曲がるか、といった問題がありました。
すべての誘惑を断ち切って警察学校を卒業

永田:第一に「絶対に諦めない」という気持ち。あとは、決してフォーカスをずらさないことです。警察学校に入る前日に、そこのインストラクターが「家族にも友達にも自分は6ヶ月間存在しないと思ってもらうように」と言ったのです。それはずっと記憶に残っていて、肝に銘じました。どうしても、日常的に誘惑はいっぱいあるわけです。「たまには飲みに行こうよ」と誘われたり……。それで誘惑に負けると、自習時間がなくなってしまいます。
——すべての誘惑を断ち切ったわけですね。
永田:2人の子供の面倒以外は全部シャットダウンして、学習に励みました。それこそ、テレビを観るのも音楽を聴くのも無駄だし、食事を作る時間も無駄なので、お弁当を買ってきて済ますとか。寝る時間ももったいないと、エナジードリンクを飲んで、睡眠時間を削っていました。結果的に56人で始まったクラスで卒業できたのは18人。私が卒業できたのは、すべての誘惑を断ち切って諦めずに頑張ったからだと思います。
新人警察官として仕事
——では続いて、卒業されてからのお話を伺いたいと思います。すぐにロサンゼルス空港警察に赴任したとのことですが、新人のときはどのような仕事だったのですか?永田:ロサンゼルス空港と、近隣のイングルウッドの境界をパトロールをしていました。この界隈は、ロサンゼルス中心街よりも危険なこともある、治安がやや悪いところです。職場に行って、ミーティングをして、すぐにパトカーで回ります。卒業してから半年間は、トレーニングオフィサーと呼ばれる警察官とパートナーを組んでいました。新人は基本的に夜勤で、夕方から翌日のお昼までというかんじですね。当時は1日10時間の週4日勤務でした。
1人でいると撃たれる世界

永田:まず、普通にパトロールをしている時も、誰かに撃たれるリスクがあります。
おまけに、尋常ではないくらい忙しいです。日中の勤務では、昼食はほとんどとれません。とれたとしても、外食したら標的になる危険性があるので、私は壁側の席でないと外食はできないですね。背中に誰かいる状況でご飯を食べることは、精神的に難しいのです。
犯人に首を絞められたことも…
——実際に、身の危険を感じたことはありますか?永田:たくさんあります。例えば1人で勤務していたとき、パトカーを降りてコンビニのトイレに行くと、いきなり後ろから襲われて、首を絞められたことがありました。そのときは、とっさに横を向いて少し息ができるよう気道を確保し、自分の拳銃を取られないようにしつつ、無線の緊急ボタンを押しました。こうすると、巡回中の警察官のなかで、私だけが30秒話せるようになるんです。話せる状態ではありませんでしたが、それで発信場所を探知できます。すぐさま仲間が駆けつけて、なんとか助かりました。
* * *
アメリカで警察官の仕事をこなすことは並大抵のことではない。身の危険を感じながら警察官として働き続け、人身売買防止に力を注ぎ、恐怖や孤独を抱えながらも目の前の命に向き合っている永田さん。夢を諦めず、不利な条件すら力に変えた彼女の歩みは、多くの人に「挑戦する勇気」を与えてくれるだろう。
取材・文/鈴木拓也
【永田有理】
日本の高校を卒業後、渡米。現地の語学学校とカレッジを経て、紆余曲折の後にLAPD ACADEMY入学。卒業後はロサンゼルス空港警察(LAXPD)に勤務し、現在に至る。また、NPO団体ラブスペクトラムを立ち上げ、人身売買の防止や被害者を支える活動に取り組む2児の母。Amazon Kindleの著書『実録LA初 日本人女性警察官』2部作がある。
【鈴木拓也】
ライター、写真家、ボードゲームクリエイター。ちょっとユニークな職業人生を送る人々が目下の関心領域。そのほか、歴史、アート、健康、仕事術、トラベルなど興味の対象は幅広く、記事として書く分野は多岐にわたる。