東京帝国大学を卒業した文学青年は、なぜ戦場で人を殺めることになったのか——。
20年前、死期を悟った祖父は、孫である著者の早坂 隆氏に対して重い口を開いた。戦場での残虐行為、軍部への怒り、戦後を生きる苦悩……。封印されていた真実が、いま明かされる。
ロシアのウクライナ侵攻により、人類は再び戦争の愚かさに直面している。
膨大な取材ノートをもとに、新たな証言を加えて、あらためて「戦争とは何か」を考えさせられる戦争ノンフィクションの力作から一部を紹介する。
※『祖父が見た日中戦争 ――東大卒の文学青年は兵士になった――』(育鵬社刊)より一部抜粋
部隊は攻撃目標の中規模集落まで辿り着いた

そこは一秒後の命の保証もない空間だった。ここにいる全員が、生死の境を彷徨しているのだった。
私の周りでは、今日まで起居を共にしてきた戦友たちが、次々と倒れていた。ある者は一メートル以上も跳び上がり、そのままもんどり打って地面に叩き付けられた。
またある者は、鉄帽を被ったまま、こめかみの辺りを撃ち抜かれて顔面を血糊で覆い、白目を剝いた。
私は自分が血に微酔したことを知覚した。
簡単に言う。
(ちくしょうめ)
と思った。その言葉がどこに向けられたものだったのかは自分でもわからない。敵へか、日本政府へか、自分自身へか、人間などという生き物を創造した者へか。
(ちくしょうめ)
私は石壁から顔を出し、歩兵銃を撃ち始めた。敵との距離など、とても冷静に考えられない。呼吸が荒いため、銃を持つ手が上下に揺れる。さっき見た平泉の横顔と私の姿が重なった。
私の放った弾が敵兵の身体に当たったかどうかは不明である。しかし、今思い起こしてみても、私はそのとき、確かに狙って撃っていたと思う。
そう、おそらく弾は当たったであろう。そう考えるのが自然だ。
平素の人間性が崩壊し、本性が現れ…
目の前では、敵兵が次々と薙ぎ倒されていた。私は言葉にならない声をあげながら、しかし指先だけは冷静に作業を繰り返していた。私を覆い隠してきた生来の修飾は、すべて剝がされた。それまで私が纏っていた薄衣は、破り捨てられたのである。それは情けないくらいに呆気ないものだった。
これを妖気というのだろうか。いや、違うであろう。これこそが、人間の臭気溢れる剝き身の本性の一つではないか。
人間は妖怪に化かされてこんなことをしているのではない。何にも憑かれてなどいない。
平素の人間性が崩壊して剝がれ落ちた後に、へばりつくような本性が現れてきただけなのだ。こういう宿命を内包した生物だからこそ、こんな馬鹿げた行為をもう何千年も続けているのである。
人は同じ所を何度もぐるりぐるりと回り続けている。その循環から人類は自らを解放することができない。
私は今、催眠にかかって目がくらんでいるのではない。そうではなくて、逆に覚醒しているのだ。これまでの利口ぶった日常こそ、世間の俗事に囚われてきた忙しい日々の間こそが、言わば催眠状態であったのだと思い知った。
私は何かに向かって憎悪していた。私の視界の中には、善人も悪人もなく、ただヒトという生命体があるばかりだった。
ぎいぃ。彼が人生の最後に残した言葉である。

軍刀での白兵戦も目に飛び込んできた。
芋刺しになった敵兵の背中から、筋の入った赤身が見え、そこから血と体液が跳ねていた。手榴弾が炸裂するたびに、数人の兵士が身体を撓ませながら吹き飛び、頭蓋の皮がめくれ、血の花が曼珠沙華のように咲いた。
私は人間の肉体のあまりの脆さに驚いていた。砂が焦げる匂いのなかで、無数の生と死が交錯しているのだった。
やがて膝頭が微かにがくがくと震え始め、それを止めることができなくなった。瞼に家族の姿と故郷の景色が浮かんだ。しかし、その像は少しぼやけていた。焦点が合わないのだ。私は生への執着を感じ、改めて恐怖を自覚して慄いた。
銃声は止まず、目の前で人が無造作に殺され続けていた。
まだ死にたくない。
ぎいぃ。
それは兗州以来、ずっと一緒だった仲間の一人だった。
外気に触れた内臓から湯気が上がる。
私の鼻に生臭い匂いが至った次の瞬間、私は身を翻して再び銃を構え、重心を低く保ちながら尚も前方を目指して駆け出した。私はまた何度も引金を引いた。
この戦闘が戦略上、どれだけの意味を持っていたのかなど知る由もない。
退却、遁走する敵兵が何人か見えた。敵の弾雨は徐々に弱くなり、勝負の大半は決しつつあるようだった。不利と見ればすぐに退却するのが、普段から聞いていた敵の戦法だった。裏門から突入した別働隊も攻撃に成功したようで、味方の軽機関銃の連続点射音が勢い良く響いてきた。
その後、日本語の喊声も聞こえてきた。作戦どおり、挟撃することに成功したのだった。
ほどなくして、敵の発砲が完全に止んだ。どれくらいの時間が経っていたのか、見当もつかない。
銃声が聞こえなくなってから、私の微弱な思考が緩やかに回復してくる。私は人間の髄というものを見た思いだった。
新たに掲げられた日章旗が風になびき、笑顔を見せる戦友も多くいたが、私には何の感慨もなかった。こんな辺鄙な場所に旗を一つ立てて、それが何になるのだろう。
私たちは多大な犠牲を払って、結局、数十人の捕虜と、迫撃砲や重機関銃、チェッコ機銃などの兵器をいくつか鹵獲しただけだ。
この戦闘が戦略上、どれだけの意味を持っていたのかなど、私たち末端の兵隊は知る由もない。こんな旗一つ掲揚するために、私ははるばる東京から連れて来られたのか、と思った。
【早坂 隆】
(はやさか・たかし)1973年、愛知県出身。ノンフィクション作家。著書に『指揮官の決断 満州とアッツの将軍 樋口季一郎』『永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」』(共に文春新書)、『戦時下の箱根駅伝』『戦争の昭和史』(共にワニブックスPLUS新書)、『戦争の肖像 最後の証言 真珠湾、インパール、特攻、硫黄島、占守島……』(ワニブックス)、『大東亜戦争秘録』『評伝 南京戦の指揮官 松井石根』(共に育鵬社)などがある。