YouTubeチャンネル登録者数190万人を突破した「バキ童チャンネル」。
唯一無二の企画とキャラクターを活かした動画が支持される一方で、中心メンバーのお笑いコンビ、春とヒコーキが出会った青山学院大学・落語研究会についてのエピソード動画も強い人気を集めている。
そんな「青学落研の話」を、チャンネル出演者であり、青学落研出身者であり、春とヒコーキの学生時代からの友人でもある芸人・町田が綴っていく連載。
第17回は、青学落研の歴史を振り返る。
数々の著名人を輩出してきた青学落研
青山学院大学落語研究会は1963年に創設された。60年以上もの歴史がある部活動だ。六代目三遊亭円楽師匠、三遊亭遊史郎師匠、元NHKアナウンサーの佐藤充弘さん、元読売テレビアナウンサーの森たけしさんなどなど、数々の著名人を輩出した名門。
ではなぜ、そんな名門落研が青学に馴染めなかった人間の掃き溜めとなってしまったのか。
それは我々の学年の2つ上、ぐんぴぃの1学年上の会長の言葉、「お前らもっと頭おかしいやつ連れてこいよ」に端を発するのではないだろうか。
その会長は表参道育ちのヒッピー被れのような方で、今振り返ってみれば、彼がイメージしていたのは会話のできる常識の範囲内の奇人、意識高めの行動力のあるやつ、ヒッチハイクで日本一周します的な、学生の内に企業しました的な人間だったと思う。
しかし、我々は頭のおかしいやつの解釈を履き違え、とにかく話の通じない人間に声をかけ、初対面のコミュニケーションが失敗に終わった人材に強めの勧誘をしていった。
こいつはヤバそうだぞと、シャツをジーンズにキツめにinしてリュックサックの紐をなるべく長く長く伸ばして、1人で学内をウロウロと徘徊しているようなやつをかたっぱしに。
やばいやつの勧誘を続けた結果
私たちが在学中に、青山学院大学落語研究会の50周年の催しが行われたことがあった。とにかく大勢の青学落研OBが集い、桜木町のにぎわい座で落語会が開かれた。トリは円楽師匠で、打ち上げにまで来てくださった。
円楽師匠とお話ができる貴重な機会だが、どうしても尻込みしてしまう。
そんな時にためらいがないのがやばいやつら。気づけば、やばいやつだけで円楽師匠を取り囲み、絶対にしなくていい話で円楽師匠を終始愛想笑いさせていた。
その光景に我々も疑問を感じなかったわけではないが、もう止まることはできなかった。
その後も、新歓の時になればなるべくやばいやつを山ほどいれようという機運は高まっていった。やばいやつがやばいと思うやつは、我々が想像するよりよっぽどやばい。
私たちの卒業後、青学落研は本当にやばいやつばかりになり、部としての存続が危ぶまれるレベルになってしまったらしい。
清き水には魚は住まないというが、汚すぎる水にも普通に魚は住まない。
50年の歴史ある青山学院大学落語研究会が終わろうとしていた。
コロナ禍が青学落研再起のきっかけに
そこで訪れるコロナ禍。部員は大幅に減少し、やばいやつたちも必然的にいなくなった。そんな中で、少数の落語に対して真剣に取り組むちゃんとした部員が落研を存続させてくれたのである。
奇しくもコロナ禍の自粛によってやばいやつが一掃され、青学落研を更地にすることができたということになる。
一時期は部員が学年で1人、2人と落ち込んだ時期もあったそうだが、今は盛り返し数十人の部員に。
最近も機会があり、現役部員の皆さんと接することがあったのだが、皆さんちゃんと会話できるし落語もちゃんとしていて、心からああこれでいいんだと、私たちは本当に間違えていたんだなと思った。
今の部員の皆さんにお聞きしたのは、「バキ童が好きです」と言ってくる入部希望者は断って、「春とヒコーキが好きです」と言ってくる入部希望者は入部させると言っていました。
とても良い見分け方だと思います。
―[振り返れば青学落研]―
【町田】
ぐんぴぃの友人。芸人としての活動もしている。@saisaisai4126