廃部になってしまった名門陸上部に在籍
――松山大学陸上部といえば、2016年には全日本大学女子駅伝で優勝するなど、華々しいイメージがあります。一方で高橋さんは、在籍中に陸上部が廃部になるなど、衰退の一途を辿っていく瞬間もみているわけですね。高橋舞衣:松山大学には、いわゆる名将がいました。スポーツ推薦で入学した私は、高校時代からその監督を知っていましたが、入学してみると、パワハラ事件を起こしてしまったようで、退いてしまったあとでした。個人的には非常に親切にしてもらったし、ちゃらんぽらんな私のことを「宇宙人みたいだ」と笑ってくれて、本音も言いやすくていい監督だと思っていたのですが。
入学した時点で、廃部が決まっていた

高橋舞衣:そんなことはないと思います……個人種目は四国大会でベスト8、駅伝は愛媛県で2位を獲りました。走ることは昔から好きで、小学校6年生のときに持久走の大会をきっかけに練習を始めました。どうしても学内で10番以内に入りたくて。朝に走り込みをやったりしましたね。最初は諦めがちだったのですが、徐々に体力もついてきて、きちんと形になっていったと思います。
――走ることの魅力はどんなところにありますか。
高橋舞衣:走りきったあとの達成感でしょうね。
――大学時代、廃部を目前にして、ユニフォームで投稿した動画が話題になったそうですね。
高橋舞衣:入学した時点で、廃部が決まっていたらしいのですが、私は知らなかったんですよ。廃部は私が4年生のときでした。「もうこのユニフォームで走ることもないのか」と思うと、なんだか形に残したいなと思えてきて。それでショート動画を撮影したんですよね。いろいろな人がフォローしてくれました。
骨折しながらもフルマラソンを完走
――インフルエンサーの活動にはもともと興味があったのでしょうか。高橋舞衣:そうですね。自分自身も動画を見ることが多いですから。あとは、中学生くらいのときは俳優さんの演技に魅了されて芸能界に心惹かれたこともありました。
――大卒後、実業団で選手として走っていましたが、そのころにはインフルエンサーとしても活動されていますよね。周囲の反応はどうでしたか。
高橋舞衣:チームのみんなが理解を示してくれて、嬉しかったですね。「チームに縛られずに投稿すれば、SNSで生きていけると思う」と肯定的な意見で背中を押してくれる人もいて、心が暖かくなりました。
――しかし実際には、今年2月の骨折を原因として、高橋さんは陸上から一旦離れなければならなくなってしまった。
高橋舞衣:そうなんです。今年1月に、ずっと一緒にいた愛犬が亡くなってしまい、非常に精神的に落ち込みました。動画配信のときも話題になっていたので、それをフォロワーさんに隠さず話すと、多くの励ましの声が届きました。
そうした状況でなんとか2月の愛媛マラソンの練習をしてきましたが、かなりきつかったですね。大会は42.195キロを走るのですが、スタート地点で「足をくじいたかも」と思ったんです。そして、20キロあたりを超えたくらいから、「これは折れてるな」と自分でもわかるほどでした。結局、完走はしたものの、ゴールのあとはひとりで歩けず、車椅子で移動しなければなりませんでした。第5中足骨骨折という診断でした。
アンチからの誹謗中傷への対応は?
――大変でしたね。高橋舞衣:最初はアンチから投げかけられる「ブス」「タイム遅い」という誹謗中傷に対処することができず、配信中に泣いてしまって中断して、また再開するみたいなこともありました。投げかけられた「ブサイク」という言葉に腹が立って、「じゃああなたも顔出ししたら?」とか言い返すこともありましたね。ただ最近は、「あぁ、またなんか言いよるな」としか思わなくなりました。
――受け取り方を転換できたのは、なぜでしょうか。
高橋舞衣:目標があるからだと思います。ありがたいことにインフルエンサーとしての収益とアルバイトだけで生活がなりたっているし、私はやっぱり走りたいんですよね。できるなら、骨折前の自己ベストを更新したいと思っているんです。自分がやりたいことをやり尽くして、それを多くの人に応援してもらえたら嬉しいなと思っています。
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長距離走も動画投稿も、積み重ねのうえにしか結果はでない。大小の挫折を乗り越えて、高橋さんは颯爽と微笑む。
<取材・文/黒島暁生>



【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki