大雨で混乱する駅に響いた異様な声「もうただの悪口ですよ」
前日からの大雨で熊本市内の交通網は混乱していた。豊肥本線や鹿児島本線は運休。駅の案内表示は赤や黄色の文字で埋まり、改札口前は人であふれていた。バス乗り場にも長蛇の列ができ、待ち時間は2時間以上というアナウンスが流れた。
山田智之(仮名)さんと同僚は「新幹線も今日は動かないかもしれない」と半ば諦め、構内のベンチで状況が落ち着くのを待つことにした。そんな中、改札前で異様な声が響いた。
「ガーッ!ガーッ!」
振り返ると、40代くらいの外国人男性が両手を腰に当て、顔を真っ赤にして怒鳴る姿が目に入った。
駅員に向かってまくし立てているようだ。
対応していたのは20代半ばくらいの若い男性駅員。姿勢を崩さず、繰り返し「申し訳ございません」と頭を下げている。山田さんには何を言っているのか分からなかったが、同僚が小声で解説してくれた。
「あれ、中国語でめちゃくちゃ文句言ってますね。
ひたすら耐える駅員、警察官の登場で収束
怒鳴る男性の身振り手振りからは、状況の説明を聞く姿勢など全くなく、「自分が困っているのはお前のせいだ」と責めているようにしか見えなかった。駅員も反論はせず、ただ耐えるばかり。このやりとりは10分、20分と続き、周囲の人も遠巻きに眺め、ため息をつく人やスマホで撮影する人も現れ始めた。山田さんも「さすがにそろそろ限界じゃないか」と思った矢先、男性はさらに声を張り上げた。周囲の空気が一瞬ぴんと張り詰めた。
しばらく時間が経った頃、駅の奥から制服姿の警察官が2人、小走りで現れた。事情を確認した警察官が、男性の肩に軽く手を置き、静かに話しかける。最初は抵抗していた男性も、周りの視線を意識したのか、急に声を落とし、渋々とそこから離れていった。
駅員は深く頭を下げたまま、その背中を見送っていた。雨で濡れた床に反射する駅員の姿が、妙に物悲しく見えたという。
山田さんは同僚と顔を見合わせ、「あれじゃ駅員さんが気の毒すぎる」と呟いた。
天候による遅延や運休は誰のせいでもない。駅員を責めるのはお門違い、たんなる迷惑行為である。
「まるで自宅」車内で自由すぎる外国人観光客

平日の昼間ということもあり、新幹線の乗車率は7割ほど。車内は落ち着いた雰囲気で、乗客はそれぞれの時間を過ごしていた。佐々木さんも一息つきながら、お客様同士の会話に耳を傾け、窓の外の景色を楽しんでいた。
「発車して10分ほど経った頃、同じ車両に乗っていた欧米系の外国人観光客が、座席から大きく足を投げ出し、タブレットで動画を大音量で再生し始めたんです」
イヤホンを使っておらず、英語のセリフや笑い声、派手な効果音が車内に響き渡った。まるで自宅。
「近くの乗客が“迷惑ですよ”という視線をチラチラ送るも、彼は全く気に留めず、画面に夢中になっていました」
佐々木さんは注意すべきかどうか迷っていた。相手が逆上する可能性も考慮し、穏やかに話しかけるべきか、駅員を呼ぶべきか思案していた。
そのときである。車内の空気を一変させる出来事が起きた。
佐々木さんの2列ほど前方から、年配の男性が立ち上がった。
言葉の壁を越えて人を動かした瞬間
背筋の伸びたがっしりとした体格の男性は、ゆっくりと通路に1歩踏み出し、外国人観光客をまっすぐ見据えた。そして、ドスのきいた声で一喝した。「おめ、やめんべ!」
青森の方言特有の荒々しい響きが、車内全体に低く重く響き渡った。「やめろよ!」という意味だが、その発音の力強さと訛りの厚みは、言葉の壁を軽々と飛び越えていったように思えた。
「外国人観光客は、まるで一時停止ボタンを押されたかのように動きを止めました」
意味が理解できなくても、その声の迫力が「これ以上は許されない」というメッセージを十分に伝えたのだろう。外国人観光客は小さく「Sorry」とつぶやき、動画の再生を止め、投げ出していた足も静かに引っ込めた。
背筋を伸ばし、視線を窓の外へ向けたまま、降車まで一言も発さなくなった。
周囲からは「青森弁の迫力ってすごいな」「方言ってきくなぁ」という声が漏れていた。年配の男性は再び席に腰を下ろし、何事もなかったかのように前を向いたが、その存在感はしばらく車内に残っていたという。
新青森駅に到着し、降車口へ向かう途中、その男性は佐々木さんと視線が合うと、軽く会釈をしてくれた。佐々木さんたちが青森に社員旅行に来ていることを感じ取っていたようで、佐々木さんは思わず「ありがとうございました」と小さく返した。
わずか一言の方言が、言葉の壁を越えて人を動かした瞬間だった。
<文/藤山ムツキ>
【藤山ムツキ】
編集者・ライター・旅行作家。取材や執筆、原稿整理、コンビニへの買い出しから芸能人のゴーストライターまで、メディアまわりの超“何でも屋”です。