新型コロナウイルス蔓延以降、海外移住先として人気だったタイも長期滞在する日本人がだいぶ減った。とはいえ、日系企業の拠点としてはまだまだ健在で、駐在員で赴任する会社員、その家族も少なくない。

大手企業を辞めてタイに移住した日本人夫婦の挑戦「自分にしかで...の画像はこちら >>
 崎村健司さん・のりこさん夫妻は、そんなタイ移住・赴任をする日本人家族のために2024年10月、バンコクにこども園『タイさくらキッズ』を開園した。

インドとタイ赴任を経験して感じた家族の絆

大手企業を辞めてタイに移住した日本人夫婦の挑戦「自分にしかできないことがある」
インド駐在を楽しむ崎村健司さん
 崎村夫妻もまた、もともと企業駐在員としてタイに来た。タイのまえにはインド駐在経験もある。ご存知のようにインドは広大で、地域によって社会状況や子育て環境、医療や食事など日本人が住むにはハードルが高いイメージがある。健司さんの赴任先も小さい子どもを連れていくには不安が大きい都市ではあった。それでも夫妻は一家でインド暮らしを選択する。

「そこでの生活で家族の絆など、かけがえのない経験をしたと思います」(健司さん)

 夫妻にとってインド生活は大きな経験と感動だった。日本との違いはあるものの、想像していたほど悪いものでもなく、むしろ家族帯同でインド駐在を勧めたいほど気に入る。

 その後タイ赴任となり、バンコクはインドよりも過ごしやすい環境で暮らせた。

「バンコクは日本人が多いから、日本人家族向けの幼稚園や学校のサービスや水準は申し分ないです。だけど、これがあったらいいのに、と思うことも多々ありました」(健司さん)

 そんな中の2023年、会社から日本への帰任命令が出る。このとき、夫妻はバンコクに残ることを決断していた。

 インドで感じた家族の絆を、これから海外赴任する日本人会社員の家族にも感じてほしい。
海外赴任でも家族とともに過ごせることや、子どもが小さい大切な時期を夫婦で見守っていくことを、これから勤め先の都合で海外駐在する人にも諦めてほしくない。そういった想いを、こども園を開設すれば実現できる。そして、それは自分にしかできないことだと健司さんは考えた。

 というのは、実は健司さんの実家がこども園だったことも大きい。健司さん自身、子どもを預かる施設が身近にある環境で育ってきた。そんな子ども時代を持ち、かつ海外駐在経験もあるという人がほかにいるだろうか。自分にしかできないことがある。それをやるのは今しかない、という想いで日本に帰らず、退職を決意したのだった。

夫妻の想いをタイで具現化

大手企業を辞めてタイに移住した日本人夫婦の挑戦「自分にしかできないことがある」
戸建て住宅を改装してできあがったこども園が『タイさくらキッズ』だ
 2024年の年初から健司さんは九州の実家でもあるこども園にて研修をはじめる。会社員時代とは当然ながらまったく違う業種であったので、実家でノウハウを学んだあと、再びバンコクに戻った。同年4月のことだ。

 バンコクで一軒家を借り、業者だけでなく賛同してくれたSNSフォロワーなどのボランティアの方々にも手伝ってもらいつつ、こども園へとリフォーム。日本とタイでは法令が異なることも、夫妻が理想とする運営方法に近づけることができる味方となる。


 たとえば、日本の教育施設における調理室は閉鎖された個室を用意する必要がある。タイではオープンキッチンにすることが可能という違いがあった。特に崎村夫妻は食育を重視するため、キッチンに壁がなく、給食室以外にも食べものの香りが感じられる造りが望ましい。

「おうちにいるような、親しみやすい環境にしているんです」(のりこさん)

日本語ができるタイ人教諭を探し求める

大手企業を辞めてタイに移住した日本人夫婦の挑戦「自分にしかできないことがある」
庭での遊びのほか、近隣の運動場と契約して外に出かけることもある
 タイさくらキッズはバンコクにいる日本人の子どもたちのための園であるので「日本語を母国語とする教育も柱のひとつ」と健司さんはいう。インドとタイ両方での海外育児で自身が母語の重要性を痛感したからだ。

 そのため、日本人保育士はもちろんだが、同園ではタイ人保育士の採用にも日本語を必須とした。しかし、ただでさえ日本人向け教育施設が珍しい外国では日本語ができる現地人保育士の募集はかなり難しい。他園に勤める保育士もいるにはいるが、そう応募はこない。

 そこで夫妻はまず日本語学習に意欲的な人を求めることにした。日本語学科を卒業して日系企業や日本に関係した仕事をしたい人を募集し、採用後にタイの保育士免許を取得させたのだ。

 タイさくらキッズはアットホームで小回りの利く小規模のこども園だ。他園と比べて崎村夫妻と職員、子ども、それぞれの距離感が非常に近いため、日々現場で保育のやり方を教えていけばいい。タイではローカルスタッフがなかなか定着しないといわれる中、現に開園当初からいるタイ人の先生は取材時もちゃんと在籍しており、顔つきもだいぶ先生らしくなっていた。
筆者はすでに開園直後にも別件で取材をしたことがあるので、一応ビフォーアフターを見ている。タイさくらキッズの日本語ができる保育士が常駐する。園の強みがまたひとつできた。

「食」にこだわるのも園の柱のひとつ

大手企業を辞めてタイに移住した日本人夫婦の挑戦「自分にしかできないことがある」
いろいろと教えてもらいながら園内でも野菜などを育てている
 崎村夫妻は食育にこだわる。

「結局、健康な心身を支えるのは、どこまで行っても食べものなんですよ」(健司さん)

 日本やタイは食べものが豊富なのは事実だ。一方でよりよい食べものをみつけるにはしっかりとした知識が必要になってもいる。そんな現代だからこそ「この年齢から食べもの本来の味を知っている味覚を育ててあげること。もうひとつは食と健康のつながりを知ること。これらがお子さんの将来の財産になる」とのりこさん。

 実はのりこさんは健司さんのインド赴任に際して勤めを辞めている。インドやタイの生活で自由な時間ができたこともあって、夫と3人の子どものしっかりとした食生活を考えるようになり、栄養学などに関する資格を取得するに至っている。

 ただ、このときの資格取得はあくまでも家族のためのものだった。のちに夫がこども園開園を考えはじめたことで、結果的にのりこさんの資格が活きる形となり、実際に園が動きだした今になって、多くの子どもたちの役に立つことになった。


 開園からおよそ1年が経つ現在も常にアンテナを張って、食材の仕入れ先も順次よりよいところに変えている。

「タイには身体にいいものをこだわりを持って造る人がたくさんいるんです」(健司さん)

 タイ人だけでなく、日本人などいろいろな国の人がタイ国内でさまざまな食べものの生産にかかわっている。開園当初はスーパーなどでオーガニックと表記された野菜などを選ぶようにしていたが、現在は各種専門家の店から仕入れるルートも構築した。魚は豊洲から入れる寿司用鮮魚の日本人経営卸会社から、野菜は自社農園で何十年もオーガニック生産を続ける老舗ショップからなどだ。

新しい基準を採用できるのもタイの教育環境の魅力

大手企業を辞めてタイに移住した日本人夫婦の挑戦「自分にしかできないことがある」
取材前に作っていた味噌
 学問は常にアップデートされる。教育や健康に関する分野も常にそうだ。

「最新の情報や保護者のニーズにとことん向き合うこと、改善を繰り返すことを大切にしています。子どもの教育や健康にかかわる分野はどんどん進化するので常に勉強です。知れば知るほど子どもたちのために採用しない手はないと感じます」(のりこさん)

 その点では、タイの子どもの教育における現場判断の許容範囲は比較的広い。そのため、園の判断で最新の方法を採用できることも多い。夫妻は開園後も学び続け、間違いないとわかったものはどんどん取りいれる姿勢もまた、この園のひとつの方針だ。

 崎村夫妻がバンコクでこども園を開くことに至ったのは、そもそも最終目標を「こども園」に置くのではなく、冒頭のように家族の絆を深め、海外赴任であっても子どもの幼少期に家族がともに過ごすことができるようにするためだ。
つまり「日本人家族がかけがえのない時間を過ごすため、なにか手伝いができれば」(健司さん)という信念がある。

 これが一番強い柱となっていて、たとえば、ほかの園では延長料金がかかるような時間帯も通常どおりに受けいれる。バンコク駐在中に自身の子どもたちを預けた先で感じた「あったらいいな」のひとつでもある。

 さらに、園の給食は週に1回「魚の日」を設けるなど、さまざまな味に挑戦させるという、他園にはない目的も盛りこんでいる。ほかには、嫌われやすい野菜や味は何度もメニューに組みこみ慣れることで克服させる、子どもたちの腸内環境を考え小麦粉や白砂糖などは使わないといった手法も取りいれている。さらに、クッキングの日も月1ではじめていて、取材の数日前には味噌を作ったそうだ。

「クッキングは全園児が必ず参加できるよう工夫しています」(のりこさん)

 タイさくらキッズでは取材時で25人の園児がいて、一番下は1歳数か月。こんな歳でもできる範囲で調理に参加させることもこだわりのひとつ。自宅に帰って父母と作るとき、園児が先生になることができて家族の会話が生まれるという狙いもある。

 この記事が出ているころには園の庭にはピザ釜が完成していることだろう。園児の父親たちの手を借りて釜を造り、父親たち自らがピザを焼き、園児や母親に楽しんでもらうという計画だ。

 ほかにも、先述のように食べものを生産する人もそうだし仏教美術をタイの大学で教える日本人客員教授など、タイ農業や文化にかかわる日本人も少なくなく、崎村夫妻のネットワークでコラボクッキング教室のほか、タイに関係する講演会も開催する。
もちろん講演会は園児向けではなく、保護者向けだ。

大手企業を辞めてタイに移住した日本人夫婦の挑戦「自分にしかできないことがある」
崎村夫妻のこども園では園児たちも毎日のびのびと笑顔で過ごしている
 タイに暮らす家族みんながよき生活ができること。崎村夫妻がやりたいことはそういうことであって、こども園はそのひとつの手段、なのである。家族の絆、食と健康。さまざまなつながりをタイさくらキッズを介して具現化していく。

 バンコクでこの業態・手法が軌道に乗り次第、崎村夫妻としては「次はインドでもこども園を開園する準備に取りかかろうと思います」ということである。

<取材・文・撮影/髙田胤臣>

【髙田胤臣】
髙田胤臣(たかだたねおみ)。タイ在住ライター。初訪タイ98年、移住2002年9月~。著書に彩図社「裏の歩き方」シリーズ、晶文社「亜細亜熱帯怪談」「タイ飯、沼」、光文社新書「だからタイはおもしろい」などのほか、電子書籍をAmazon kindleより自己出版。YouTube「バンコク・シーンsince1998│髙田胤臣」でも動画を公開中
編集部おすすめ