私は「監督たるもの会見を拒否してはならない」という考え方だ。たとえばMLBでは、監督を決める際に必ずGMが面談を行い、「しゃべれるかどうか」をチェックするほど、重要な要素なのである。ただし、巨人の体たらくを見ていると「会見拒否もやむを得ないかな……」と、同情したくもなる。
※本記事は、江本孟紀著『長嶋亡きあとの巨人軍』より適宜抜粋したものです。
なぜ試合後の会見を拒否したのか
会見を拒否したのは、2024年シーズンにも2試合あった。それと2025年は4回だから、合わせて6回になる。すべて東京ドームの試合で、いずれもふがいない結果に終わっている。阿部監督のこの対応について、一部の巨人ファンからは、「親会社がメディア媒体なのだから、試合の勝敗にかかわらず、堂々と記者会見を受けるべきだ」と主張しているようだ。だが、先述したとおり、私は無理する必要はないんじゃないかと思っている。「江本はかばうのか」と青筋を立てる人もいるかもしれないが、もちろんそうではない。
会見拒否する姿を見て、阿部監督は「謙虚な人なんじゃないか」と思ったからだ。もしもあなたが監督だったら、こんな状況でも会見を受けますか?
自分が監督だったとして考えてみてほしい。
だが、それが普通なのだ。大半の人は、怒るか、ふがいなさのあまり言葉を失うかのどちらかになるはずだ。このとき監督が、
「あの選手はアホか!」
「バカのひとつおぼえみたいに、おんなじ失敗を繰り返しやがって」
などと、感情の赴くまま選手を批判しようものなら、間違いなく大バッシングを受けてしまう。選手にしても、自分のことを悪く言われたら当然気分を害するだろう。
意見があるなら、コーチを通じて選手に伝えればいいだけだ。腹の虫がおさまるまで、口をつぐんでいてもいい。普通の人ならばそう考えるはずだ。
「東京ドームだったからこそ、会見を拒否した」とも考えられる?
さて、阿部監督が会見拒否したのは、すべて東京ドームでの試合である。この点に注目してみよう。
「せっかく足を運んでくれたお客さんに、みっともない試合を見せてしまって申し訳ない」
こんな気持ちが芽生え、反省していることだって十分考えられる。
巨人的な思考ともいえるのだが、お客さんの中には常連もいれば、はじめて観戦に訪れた人もいる。後者の場合は、「わざわざお金を出して野球観戦するのはやめよう」という考えになってしまうかもしれない。
そのうえ、阿部監督が怒りに任せたコメントを発すれば、泣きっ面に蜂だ。
「うわ、この監督は怖いな」
厳しいコメントを「きつい」と受け止めてしまう人も一定数いる。ひとたびこう感じてしまえば、東京ドームから足が遠のくのではないか。
そう考えると、阿部監督のふるまいを非難はしにくい。負けた直後にもかかわらず、さわやかにコメントできるほうがおかしいとも思う。
長嶋さんや原が会見を拒否しなかった理由
一方で長嶋さんと原前監督は、どんな試合内容であっても会見を開いていた。阿部監督との違いはどこにあるのか考えてみたい。
もちろん「ファンが自分のコメントに注目してくれている」という思いもあっただろう。だが、一番大きいのは、「自分に自信があるから」だ。簡単なようで、なかなか真似できることではない。
マスコミからの注目度が群を抜いて高いのが、巨人というチームの特徴だ。
「他人の目を気にしない」という強さが2人にはある
「他人の目を気にしない」ところが長嶋さんと原には見受けられる。自分のコメントによって多くの批判が来ようとも、「ああ、そうですか」と軽くいなせる余裕がある。つまり、人並外れて神経が図太いのだろう(本人たちはそんなことをまったく考えていないはずだが)。
長嶋さんと原といえば、学生時代からマスコミの注目の的だった。長嶋さんは立教時代、原は東海大相模時代から全国区の人気を誇っていた。神宮のダイヤモンドを颯爽と駆け回る長嶋さんと、持ち前の華やかさで甲子園のスタンドを沸かせた原。
「自らの発言に対して、ファンがどんな反応をするのか」と考えるよりも、「周りがどうこうではなく、自分はこう思っている」と率直に主張できる点が、2人の共通項ではないだろうか。
大学時代の阿部監督も、ドラフト上位での指名が確実視されていたほど、名の知れた選手だった。だが、あくまで野球ファンの間での「有名な選手」である。それゆえに、阿部監督は長嶋さんや原とは違って、「普通の人の感覚」を持ち合わせていたと考えられる。
すなわち、「ここで厳しいコメントをしたら、世間にどう思われるか」と想像力が働くわけだ。だからこそ、情けない負け方を喫したあとは、「あえて取材を受けない」という処世術を身に着けたのだと、私は見ている。
<談/江本孟紀>
【江本孟紀】
1947年高知県生まれ。高知商業高校、法政大学、熊谷組(社会人野球)を経て、71年東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)入団。その年、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)移籍、76年阪神タイガースに移籍し、81年現役引退。プロ通算成績は113勝126敗19セーブ。防御率3.52、開幕投手6回、オールスター選出5回、ボーク日本記録。92年参議院議員初当選。2001年1月参議院初代内閣委員長就任。
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